10. vs 颯路
「お、おいっ!」
箱を持って歩いていると、余計に市の中は狭い。
勝手に道はできるとはいえ――頭の中でそんなことをぶつくさと実感していると、
「おい!黒いの!」
と、もう一度声がした。
喧騒のなかで、どこかで喧嘩でもやっているのだろうと思っていた狼月だったが
”黒いの”がどうやら自分らしいことに気づき、首だけで声のほうを見遣った。
少し視線を動かして探すと、怒鳴りかけてきたのは
ガスマスクの特異な、緑色のハナアルキのようだった。
長身の狼月に比べると、少なくとも頭二つ分は小さく見える。
どれだけ前から呼んでいたのだろうか。
狼月が気づいたことにハナアルキはふぅ、と一つ息をつき
がらがら声を張り上げておじょうを指差す。
「そいつ、俺の近所のガキなんだよ。探してたんだ。
うちで預かっとくから、ちょっと渡してくんねーか。」
肩越しにおじょうが身を乗り出したので、
おっとと狼月は足を踏みなおした。
剣士であるゆえ体は鍛え上げられているし
重いわけではないのだが、
この少女は抱かれている間にもぱたぱたと動きすぎる。
「やだもん。おじょうはおじちゃんちにいくのー。」
狼月はおじょうのあたまをぽすぽす撫でて
それから打って変わって乱暴な仕草で箱をひっくり返し、
「我儘を云うんじゃない。
保護者がいるなら、俺にもお前にもそのほうが良かろう。」
「チューヅは保護者じゃなーいーっ」
小さな手がぽかぽかと、棒立ちのままの脚を叩く。
それでも狼月はこたえる様子が無いので
おじょうは叩いたところに顔を摺り寄せ、上目遣いに目を潤ませた。
「おじちゃん、おじょうが嫌いなの?おじょうがいると迷惑?」
冷ややかに見下ろす。
「如何にも。あざとい子供だな。」
「なにそれ?可愛いってこと?」
おじょうの涙腺が刻一刻と緩んでいくのと同時に
狼月の視線の温度も下がっていき、ガンをつけるときのそれに近づいていく。
見つめあうふたり(色んな意味で)に疎外される形のチューヅは
その場でうろうろと足踏みを踏んで待っていたが
せっかちな彼が3分なんていう時間を待てるはずがない。
「とっととガキを渡せっつってんだろうがよ。
それともアレか?ロリコンってやつか?てめぇは!」
「おじちゃんをバカにすんなっ!
初対面のくせに何つっかかってんの。サイテーだよ!
おじょうはおじちゃんちの子になりたいのっ!」
だから駄目だと。
狼月がおじょうをひきとめようとすると
「あぁん?」
低い声と共に、ぴし、と空気を裂く音がした。
野次馬たちの間にどよめきが走る。
ハナアルキの手に握られた鞭の表面には
ところどころ電気の不規則な線が見えていた。
雷だ。
「武器をしまえ。」
狼月は間に立ち、静かに言った。
おじょうの手が服の裾を、
今度は媚ではない脅えを浮かべて握り締めている。
「子供相手に感心しない。事情は知らんが、弱いもの相手に脅しをかける輩に
この娘を渡すわけにはいかんな。お引取り願おうか。」
「うるせ、ばーか!ちょっと強いからっていきがってんじゃ」
狼月の目が一瞬、だけだが強い煌きを放つ。
だが、それだけで終わった。
何も起こったようには見えなかった。
ただ一部のリヴリーたちは風を感じたような気がして、
男の背中で大剣の柄がぱちり、と音を立てただけだった。
「ねー…ぞ?」
それだけなのに、少し間をおいて
ガスマスクにぴしぴしとひびが現れ、綺麗に真っ二つに割れてしまった。
「うおぉおぉぉおー!?」
顔を押えてそそくさと逃げ去るチューヅと
狼月の周りで歓声と拍手の嵐が巻き起こった。
「見世物ではないのだ、が…」
今朝と同じく、
いや、それ以上に尊敬と敬遠に溢れていっそう広く開いていく道を
背中を向けて歩き去りながら、傍らにぎゅうっと抱きついてくる少女を携えながら
狼月は居心地の悪い気分で
悪目立ちをしてしまったな、と思うのである。
『おじょうに何者かが接近中
誘拐は中止 早急に戻られたし』
路地裏に隠れた頃になって、
チューヅの元には
一通のカミヒコーキがひらりと舞い降り
「…もっと早く言えってんだよ…」
彼はそう、呟いたとか、呟いてないとか。
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