07. vs 幸江

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「如何にも、僕は幸江君ではない。
 共通点といえば、彼と同じく実力行使が嫌いなこと、その程度か…」


幸江は食器を流しに置き、矛盾した言葉を口にすると
両手を広げて丸腰であることを示した。
優しそうだがまるで別人だった。
幸江の声で。幸江の体を使って。
何より芝は、それが許せない。

「君を説得しようとしたが仕方ない、脅しに屈してもらおう。
 黙って僕の言うとおりに振る舞うなら、
 大好きなお父様に会わせてやっても良い。」

わなわなと手が震える。芝は椅子を蹴り倒し、

「犯罪の片棒を担ぐなんてごめんだよ!」

はねつけて逃げようとするが、
大股で回り込んだ幸江にぶつかってしまった。
転んだところを触覚をまとめて捕まえられ、
相手のもう片手には電気を帯びたお札が握られている。

「短絡的に答えるんじゃないぞ。痛い目にあいたいのか?ん?」

しかし芝も負けてはいない。
両手両足を振り回し、なんでも噛み砕くムシクイの牙を剥いてみせる。

「強がってんじゃないよ!痛い目にあわせる度胸はあんのかい!
 …わざわざアタシを一人にしてまでこんな事してるのは、
 じーじとやりあうのが怖いからなんだろ。」

「ふん、いつまでそんな生意気言っていられるのやら…」

そのときだ。
一瞬、家の中の圧力が高くなった。低くじんわりと伝わる振動。
幸江の言葉が途切れたのはそのためである。
彼も芝も突き刺すような痛みを感じて耳を押さえる。
手放されたお札が、床を転げていた茶碗にくっついてパリンと破裂させた。
頭が響く。鼓膜がどうかしてしまったかと思う。

「忘れているようだから教えてやるが、お前はただのムシクイだ!
 壊したって300も出せば何匹だろうと替わりが手に入る
 その程度の存在なんだぞ。…大人しく言うことを聞け。
 今なら許してやる!」

芝の薄い手のひらの間から、幸江が大声で叫ぶのが聞こえる。
そんな言葉を幸江の声で聞くのは辛くてくやしくて
目からくやし涙が零れそうになる。
彼も耳が痛いらしく、苦しそうに顔をゆがませ、何よりとても焦っているようだ。
逃げなければ。
芝は彼の声をシャットアウトしながら、膝を立て、両足だけで逃げようとした。

「待てこの…畜生!」

背中でばたんと音がした。
また強い圧力がかかって、息のできなくなった芝は
廊下のマットに爪先を引っ掛け、体が前に倒れていくのを感じる。





―― ― ‐…





「義兄さーん、義兄さーん義兄さーん、芝くーん、義兄さーん義兄…芝くぁあ!」

幸江に蹴られたのだと思ったが、違った。
床に倒れた芝に洵次が躓いて、見る間に背中に重みがのしかかる。

「洵ちゃ…?」

芝は目をぱちくりさせて、洵次を見上げた。相手も同じく。
ほんわりと厚い瞼を重そうに持ち上げ、いきなり現れた芝を
不思議なものでも見るような目で見た。

「隠れん坊でもしていたのかな…義父さんも心配して外を見に行ったところだよ。
 義兄さんと芝君や義兄さんが居ないと家が広く感じて…」

家族の心配振りを前に「ちがう『家』に帰っていた」とは、芝は言わなかった。
実際にはさっき居た『自宅』よりも40センチ内側にある
本来の幸江家に彼女は戻って来ていたのだが
家全体が罠にかけられるだなんて、そうそうある事態ではない。
普通の生活に身をおいている者ならば
事情を把握なんかできないし、するべきでもないだろう。

ただしそれはごく普通の者に限った話だ。


「入れ子のアジトと来たか、面白い。」

風の渦を家に巻きつけ、ついにアジトを破壊することに成功した。
冷え込む夜の空の下、その初老のヴォルグはステッキで地面を叩き、風を収める。
ほぼ真空と貸していた家の周辺は圧力から徐々に解放されていって
芝生が渦を巻いてつぶれている他は平常の様子を取り戻す。

アジトを一撃で壊滅させることなど
まともなリヴリーの仕業では無いはずだが
老人の正体を知る者ならば、なんら不思議に思わないだろう。
彼の名はクー・ド・グラース。
ローズウッドも身震いする歴戦の猛者であり、幸江の義父。
そして芝の祖父になる。

ステッキが風を全て回収しおえると、老人は屋根の上を見上げ、
高くから彼を窺っているヒトガタをしたものに声をかけた。

「今後二度と私と芝の前に現れるな。
 孫娘を想う祖父の目は、貴様等の心臓を射抜く邪眼に等しいと心得ることだ。」

ちかちかと瞬いていた8つの黄色の光は、恐らくモンスターの眼光なのだろう。
脇にはてるてる坊主のように軒に引っかかっていた何かを持っていたが、
それが芝でない時点でグラースにとってはどうでも良かった。
ヒトガタは糸をすする音を立てながら
てるてる坊主を引き上げると、そのままどこかへと消えていった。

「…平和ぼけとは厄介なものだな。」

二度も締め付けなければアジトが壊せなくなった自分が腹立たしく、
老人はふうと長く冷たい息を吐いた。










そんなことがあったなんてことは
もちろん家の中にいる芝は知る由もなく、

「芝君が見つかったなら安心だ…。きっと義兄さんももうすぐ…」

まして洵次は何が起こっているのかすら分かっておらず。
胸を撫でてみつつも不安を丸出しのままで彼が話していると、
遮るようにドアベルが鳴った。

「さちe「義兄さん!?」

洵次と芝は素早く反応し、肩やら頭やらをぶつけながら玄関に走っていった。



「義兄さんおかえり。遅かったから心配してFBIを呼ぼうかと思ったけれど
 電話しなくて本当によかった。」

「お帰りさちえーっ!良かった、本当の幸江なんだね!」

歓迎されるのはいつものことだが、
洵次はともかく、今日は芝がぐりぐりと頭を押し付けてくるのに驚いて
幸江も負けじと二人を抱きしめた。
重い野菜でいっぱいの袋を掴んでいた手が赤くひりひりと痛むけれど
そんなことよりも芝が、しっかりものの芝が涙を流して甘えてくれるのが嬉しい。

「ただいま洵ちゃん、ただいま芝君。
 …と、そうだ。ちょっと急いでお願いがあるんだけど…」

布団を敷いて欲しい、と幸江が言うと
まだどこに、ともどうして、とも説明しないうちに
ふたりは自分の部屋に飛び込んでいき、先を争って布団を敷きはじめた。

「できたっ!」
「ありがとう芝君。よいしょっと、洵ちゃん、荷物持って。」

早くできたのは芝で、芝の部屋に幸江がやってきた。
背負っていたものを丁寧に下ろす。
どこか恨めしそうな洵次も含め、ふたりで覗き込んでみると
それはみすぼらしい身なりの――件のカンボジャクだ。
泣きつかれ、飲み疲れ、布団に寝かせてやると丸まってすうすう寝息を立てている。
金具で開かれたままの目は白目を剥き、先ほどまでの凶暴さは想像もつかない。

「これ何…?」
「あーっ!もしかして、また拾ってきたのかい!」

幸江は照れくさそうに笑い、

「大変そうだったからつい…
 申し訳ないけど今晩だけ芝君の布団を貸してあげてくれないかな。」

顔の前で両手を合わせ、そんなに申し訳なさそうな笑顔で
お願いのポーズをとられてしまうと断れる者は稀だ。

芝が考えている間に洵次が「勿論だよ義兄さん」と快諾し、
あわてて待ったをかける前に幸江が「うわぁ嬉しいありがとう芝君」と言い、
しっかり者のムシクイは腰に手を当てて溜め息をつくと、

「幸江も洵次も呆れた子だねェ…良いよ。
 その代わりアタシは幸江といっしょに寝るからね!」

それに続いて僕も、僕もと不審に挙手する洵次を引き連れて、
幸江は暖かな食卓へと戻っていった。

「今夜はカレーだよ!」