07. vs 幸江

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腰に巻きつく腕をとり、お互いに指先を絡める。
涙でびしょびしょのカンボジャクの羽を丁寧に擦って
幸江の体温が意固地になる指先を解していった。

「すぐ戻るよ。」

「去り行く人はみんなそう言うんです。」

「じゃあ試してみようか。
 僕が本当に君を置き去りにするかどうか。どうだい?」

体を上下に揺らしながら幸江の話を聞いていたカンボジャクは
しばしぼーっとした顔で考え込んでいた。
といっても、酔いの回った脳味噌では
この提案が明らかに幸江に有利なものだとは気づくはずも無いだろう。

「…するに決まってます。」

「そう。僕はしないほうに賭けようかな。
 さ、手を離して、どうなるか試してみよう。」

幸江はレジのほうへ歩いていき、
メニューを指差しながらいくつか注文をして代金を払った。
カンボジャクはたった50メートルしか離れていない椅子の上で
幸江の様子を食い入るように眺めている。
懐疑に満ち溢れた彼女の目は
自分で立てた誓いの――瞼を開く金具の所為で、瞬きすらしない。
執念深く睨みつけ、待っている、というよりも
まるで裏切ることを期待しているかのようだ。
だが予想に反して幸江は両手に飲み物を持って戻ってきた。

「ただいま。ほらね、見捨ててないよ。」

優しく諭すと、カンボジャクは黙って紙コップを受け取った。
冷たいジュースが焼けた喉を潤すのが気持ち良いのだろう。
カタカタと首が音を立てて揺れる。

「落ち着いたみたいで良かった。寂しかっただけなんだよね。」

カンボジャクの頭を抱きしめる。
揺れているだけか、頷いたのか分からないが
とにかくカタリと音がする。

「帰ろう。」

腕の中の頭が今度は被りを振る。
くぐもった声で帰る場所なんて、と言いかける。

「うちにおいで。」

当然のように幸江は応えて
床に散らばった酒の蓋を拾い始めた。




ハナアルキがその一部始終を報告したのはその直後で
幸江が芝を置いて廊下に出て行ったのは、連絡があったからだ。

「泣き止んだだと…!?早すぎるだろ!」

事態を把握するなり、幸江は壁に裏拳を叩き込んだ。
ぎりりと歯を食いしばり、どこからか飛んできた紙飛行機を握りつぶす。
普段ならありえない光景だ。洵次あたりが見たら卒倒するかもしれない。

「Shut up !アジトが崩れるダヨ!」

幸江以外に誰の姿も見えない廊下に、別の声が言った。
よく見ると天井にジョロウグモの少女が忍者のように張り付いている。
壁紙を震わせた振動が収まるのを待ってから
彼女はそっとドアの向こうの食卓を伺った。
かなり大きな音がしたはずだが、幸い芝が見に来る様子はなかった。

実を言うなら、ここは本当の幸江の島ではない。
幸江の島を包み込むように広げられた、
見た目も位置も瓜二つのアジトである。
巧妙な誘導で家と間違えて帰ってきた芝だったが、
本来の島では洵次や祖父が、帰りの遅い娘を探していることだろう。

「すまん、取り乱した…ああ畜生なんてことだ。
 あの子供さえどうにかなれば…」

ここに居るほうの幸江は声を落として髪を何度か撫で付けた。
伏せた目は鋭く、同じ顔のつくりだというのに
餌屋にいるほうの幸江とは別人に見える。
額が汗で湿っている。彼は幸江と違って子供の扱いが苦手なのだ。

「もうチョト時間稼ぎさせるようにオーダーしたほうが良さそうダナァ。
 アタシが送トクワヨ。この紙を折テ飛ばせば良いノネ?」

あらかじめ渡された便箋をぴらぴらと振ってクモが言った。
ほっとした様子で幸江も頷く。

「ああ。最悪、子供を懐柔できなくても怒るなと言っておいてくれ…
 いいなドルテ。本物の幸江君が帰ってきたら、
 状況に関わらず僕を糸で引き上げるんだぞ、いいな。」

指示を受けるとクモは投げキッスを残し、姿を消した。
残された幸江は慈愛に満ちた、本物の幸江のような笑顔を一瞬だけ浮かべると
気を取り直して食卓へ戻っていく。

「お待たせ、芝君。」

その後、芝に正体を見破られたのは知ってのとおりだ。