07. vs 幸江

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「お待たせ、芝君。」

幸江が戻ってきた。
彼は先ほどの地を這うような声音ではもう無くて
声だけはいつもの優しさを取り戻しているけれど
何故か芝には、彼が怒っているような感じがする。

「…ごちそうさま。」

「おや、食べないの。冷めちゃったなら温めなおそうか?」

ことり、と箸が寂しげな音を立てる。
芝の手が顔を覆い、その指と指の間に隠れた唇から
搾り出すような声が漏れる。

「アタシ、本当に幸江のことが心配なんだよ…
 ご飯が喉を通んなくなっちまったみたいで…」

しばらく間があった。
芝の肩は、幸江なら当然そうするように抱きしめられたりもせず、
暖かい言葉もかけられることはない。
息の詰まるような空気が流れていくだけだ。
ややあって幸江は

「それなら仕方ないか。勿体無いけれど。」

と、ぎこちなく言って、茶碗と皿とを腕に乗せる。
着々と机の上が片付いていくあたりは
いかにも家事慣れしている様子ではある。
けれど、どんなに幸江のような動きを真似てみても
芝の目をごまかすことはできなかったようだ。

「アンタ…幸江じゃないんだろ。」

キッチンに消えていく背中に、芝は声を投げた。

「へ?」

子供の冗談としか思えない言葉に
幸江は笑いを含んで振り返る。そんな訳ないでしょ、と言おうとし
だが、芝の表情は確信に満ちている。

「お前さんには分かってないようだから教えてあげようかねェ。
 幸江はどんなことがあったって、ご飯は三食きっちり食べさせる男だよ。
 簡単にご飯を抜いたり、アタシを不安にさせたり。
 そんなこと、幸江は絶対にしないのさ!」

大声で啖呵を切った後、恐ろしいくらいにしんと静まり返った。
芝は椅子に座っていて良かったと思う。
ありったけの気合を振り絞ったおかげで、
もし立っていたら足ががくがく震えているのがばれてしまっただろう。
少なくとも気丈に見えたのが良かったのかもしれない、
芝の言葉は確かに効果を表していた。
幸江の目が急速に温度を失っていく。

「こまっしゃくれたこと言ってんじゃねーよこの餓鬼は…」




幸江なら口が裂けても言わない言葉だとう。
洵次あたりが聞いたら卒倒するかもしれない。
つまり、芝の読みどおり
ここにいるのは幸江ではないわけだが…時間は少し遡る。



















「行かないれくらさいよう!一人にしないでえええええ!」

本物の幸江は困っていた。
席を立とうとしても件のカンボジャクが抱きついたまま離れないのだ。
やせ細った体のどこからそんな力が出るのだろうと思うくらい
しっかりと幸江の腰にしがみついている。
そろそろ店にも人が入りだしたというのに
彼らから半径2メートル以内のテーブルには誰一人として近寄りたがらない。

「まいったね…ジュースをとってきたいだけなんだけどなあ…」

やっと酒を取り上げたと思ったら、この様子。
刻一刻と暗さを増していく空に
さすがの幸江も幸江なりの焦りを見せ始めた。









「さちえさん、こまってるみたいだよ。」

餌屋近く、窓の中がよく見える電柱の裏に
薄紫のオーガの背中が見え隠れしている。
オーガがあまりに大柄なので気づきにくいが、
その影に隠れて、ガスマスクを被った緑色のハナアルキも
一緒にほくそ笑んでいた。

「姉御の絡み酒は普通じゃねぇからなぁ。
 ま、あの様子だとしばらくは足止めできんだろ。
 後は坊主がうまくやってくれりゃ…」

「だいじょうぶかな。
 ジャスタスさんったら幸江さんにぜんぜんそっくりじゃないんだもん。」

「平気だろ。モンスターもついてんだ。
 まぁ、あの蜘蛛女がどこまでちゃんとやるかは知ったこっちゃねぇけどよ。
 いざとなったら食っちまえ。」

いくら喧騒の中とはいえど、聞こえれば物騒なことを平気で口走る。
要するに幸江に酔っ払いをけしかけたのは彼らなのだが
どちらかというなら、犯人はハナアルキのほうである。

「まぁ、そろそろ連絡を聞きてぇとこだけどな。
 紙飛行機でも飛ばしてみっか。」

ハナアルキが満足げに言って
取り出した便箋に「こっちは順調」と書き込んだ矢先だった。

「あれ、リラちゃん泣いてないんじゃない?」

オーガが出し抜けに声をあげ、見れば幸江が席を立っている。
カンボジャクは彼を目で追ってはいるが
追いすがったりもせず、落ち着いているようだ。

「何だと!?」

ハナアルキは青ざめた。