「…、」
えんまがゆっくりと体を起こす。
麻酔の効果で動きはより緩慢になり、ハンマーを再び構成したり、殴りかかったりできる状態ではない。
それどころか、チュータツが少し押したくらいで倒れてしまいそうな位だった。
チュータツは圧倒的に有利な立場に立っていた。
なんとかバランスを取ろうと前に伸ばされた腕が
「!!」
チュータツの角を握りしめるまでの話だったが。
あっと思った時には
チュータツの倍近くある体重が、ぐんと額に集中して掛り。
「は、離せ!」
「やだ。」
がたがたと震える腕でも、自重を支えるくらいの強度はあるようだった。
イッカクフェレルの持つ生来の武器であり、弱点でもあるその角は
頭蓋骨にも直結しているというのに、無理な重さに耐えようとして、みし、と軋む。
首を折られそうなチュータツも必死だが
しがみつかなければ立っていられないえんまも必死で
白衣をむんずと掴み、逃がすまいとする。
「私の云う事を聞け!如何なっても知らんぞ!」
「やだ!」
「離せと云うのが解らんのか愚か者っ!」
「いっ…――!」
突然、鋭い叫びと共にえんまが手を引いた。
ガラスの割れる音に、鼻を突く刺激臭。
チュータツは、えんまの握った白衣のなかで、使う予定の無かった劇薬の瓶が割れたのだと悟る。
じゅ、と嫌な音がした。
よろめくような足つきでまだ戦うつもりなのか、えんまが皮膚を焼かれながらも
まだ白衣を手放さないのを見るにつけ、チュータツは殆ど反射的に彼を突き飛ばしていた。
離れた掌の代わり、赤い手形が皮膚の残骸と共に白衣にこびりつく。
「貴サマは一体どこまで馬鹿なんだ!」
怒りに震えた声が、ぴしりと会場を打ち静める。
掌から湯気を出していたえんまは、予想外のことが起きたとでもいうような表情をしていた。
真っ白な眼は愚かで、本当に愚かで何も解っていなくて
チュータツの中でずっと煮えていたものが、とうとう爆発した。
「何も理解しようとしないのだな!貴サマの目的が戦って帰ることなら、私の目的は無傷で貴サマを連れ戻すことだというに!
それを何だ。わざわざ私が出向いてやったというのに好意を無碍にするばかりか
飼いヌシまでも裏切ろうと云うのか。貴サマ等の目指しているのはそれほどまでに大層な目的だとでも云うのか!」
「あのう…もうしわけないんですけどさ
こじんてきなお話とゆうのは後にしないかい?」
「ああ良いだろう!そんなにあのハナアルキが大事なら勝手にしろ!
私は貴サマが死のうと壊れようと痛くも痒くも…何だと木偶がまだ何か云うことでもあるのか!」
もうこの男には何を言っても無駄なのではないかとチュータツが思っていたところ
混じったノイズに、苛立ってえんまを睨みつける。
何時もの癖で、溜めこんだものが流れ出てしまうチュータツを
えんまが(まるで他人事であるかのように)困ったような目で見つめている。
そして
「あのね、チュータツさん。ぼく、こうさんなんだけど。」
あれだけ言い渋っていた一言を、彼はしれっとして言った。
「…は?」
静かだった場所でその宣言はやけに大きく聞こえ
良いところで途切れた試合への落胆の声が、観客席のそこかしこで上がっていた。
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