幸いなのは、コクピットに並ぶボタンの並びに、一つもラベルが付いていないことである。
赤いレバー、青いレバー、右から三つ目の黒いボタン……一度覚えてしまえば難儀するのは最初のうちだけ、そもそも操縦時に手元ばかり見ているようでは運転も危うい。
それみろやっぱり予算はケチっておくべきだったろう。ジャスタスは心の中でガッツポーズであるが、この状況は、さて。
ロイヤルフェニックスはまさにGLLの壁すれすれを飛行していた。目下には怪物の森。黒々としたモンスターツリーの木々に、ぽつらぽつらヨールの葉が混じり始める辺りだ。
ガラス窓の外には荒れ狂う風の渦、高度はぐん、と不穏に下がっていく。
「まず、一番大きなボタンを押してほしい。それを押したまま、隣の青を一回」
むろん、それだけで緋夜輝が信じるはずもなかった。
「……一旦オートにする必要がある」
項垂れるジャスタスを横目に彼がやっと指示のボタンを叩くと、ガゴンと背後に大きな音が立った。緋夜輝の鎌が即座に煌めき、ジャスタスの首のまさに薄皮を刻む――が、すぐさま飛行が安定したのを見て、彼は攻撃の手を休めた。
「まったく、楽しましてくれるやないの」
やっとレバーから解放されたジャスタスは浅く息を吐く。次はセルフ罪状認否といったところだろうか、命を握られた彼に、黙秘権はもちろん保障されていない。それにしても、わざわざ運営に当てた文面を読ませるということは、彼が雇われているのはおそらくジャスタス達を直接裁く権限を持っていない――運営の命令を受けたわけではない、一般のリヴリーなのだろう。
緋夜輝を盗み見ると、早く着陸させろと急いている。
「さっきの赤いボタンでマニュアルに切り替える。
レバーで高度を下げながらフラップを上げて、僕が合図をしたら脚を下せ」
二匹は息をつめて着陸を待った。緋夜輝が注意深く高度を下げるにつれ、賑やかなGLL入場門が見えてきた。何だあれは、と声。巨大なムシチョウだぞ!色とりどりのリヴリー達が一斉に空を見上げる。
「今だ、押せ」
囁くようにジャスタスがつぶやくと、緋夜輝が脚を降ろした。タイミングは間違いなかったにも関わらず、ロイヤルフェニックスは若干傾いて地面に脚を付けた。着陸のエネルギーをサスペンションが受け止める。どしん!重い衝撃。見栄えの犠牲になった安定感のおかげで、コクピットは小刻みに揺れる。
「下手くそ!」
プライドの高い緋夜輝のこと、舌を噛みそうな揺れに耐え、殺意に満ちた目でジャスタスを見たが、今人質を殺してしまっては元も子もない。土煙が引いたあと、恐れいった様子で取り巻くリヴリーの姿が、マジックミラーになっているガラスから間近に見下ろせる。
「マイクはどれやって?」
「一番上の右から、そう、それだ」
糸の千切れるような鈍い音と共にマイクが入ったことが分かると、周りからもざわざわと驚きの声がコクピットに流れ込んでくる。外への音声が漏れるので、緋夜輝は無言のまま、ポケットから紙を取り出した。読め、と。
私たち 旧2サーバーのチームスラバヤは GLL城の乗っ取りを企て、治安の紊乱を招き――
つきましては以下のアカウントの削除を所望いたします。首謀者 南米スラバヤ えんま――
薄緑色の文字で丁寧に記されたそれをジャスタスはまるで、外国語でも見るような眼で見つめていた。首元には殺人鬼の鎌。手元には自分と知人のアカウントを削除してくれとの通報文。
「私たちは――」
ごくり。唾を飲む音がいやに大きく響く。外には戸惑うリヴリー達。頭に血が回らず、コンソールに軽く手を付いた。震える右手に通報文。左手の指先に、黄色く小さなボタンが触れた。
ジャスタスは言った。
「――/small」
緋夜輝の鎌が、空を切る。一気に30cmとない身長まで縮んだジャスタスはすんでのところで刃をくぐり、ボタンの上へと飛び降りた。外野からのどよめきは一段と大きくなる。ロイヤルフェニックスの周りの空間が歪み始めたのだ。
「作戦は失敗だ!逃げるぞ、緋夜輝!」
今度こそ、外しはしない。緋夜輝がボタンに向けて二度めの刃を振り下ろしたとき、
ロイヤルフェニックスの姿はGLL城門から掻き消え3
た。
/randam――悪のロボットにはつきものの、緊急退避のボタンである。
BACK