「遅ぇーなあー…」
机の上に鍋。そして5人分の食器。
嗅いでいるだけで食欲をそそるカレーの香り。
あとはメンバーがそろうのを待つだけ、だが。
チューヅはランチマットの上に乗せた頭を、ごろりと転がした。
「負けひゃったんらないれすか?」
その向かいに座るのはリラ。部屋の中には2匹しかいない。
足をぶらぶらさせながら、鍋の中のじゃがいもを口に放り込む。
「あっ姉御まだ食うな、ってか口にモノ入れたまま喋んなよ汚ぇなあ!」
チューヅが怒鳴ってストレートを繰り出す。
と、彼女は首をひっこめて避け、自分の皿にすばやくカレーをよそい
皿を抱えたままそっぽを向いて、がつがつと貪り始めた。
相変わらずの食い意地の張りように、チューヅは諦めて机に肘をつく。
「まぁ、坊主があの体たらくじゃ、仕方ねぇかもなぁ…
…にしても、負けたから帰って来ねぇとかガキかっつの。」
「ふぁひらんれふはら…」
リラがスプーンを加えて意味不明な言葉を紡ぎ出したとき
コンコン、とノックの音が響いた。
帰ってきたのだろうか。
ふたりは顔を見合わせると、チューヅがのろのろと椅子から飛び降り、ドアへ向かう。
鍵を開け、暖かなカレーの湯気が逃げていった先を彼が見上げると
そこにえんま達の姿はなく。
「よぉ、チビ助。」
すらりと、コンクリートを突き破って黒く直角に生えた植物を思わせる
鋭いシルエットのクロメの女性が立っていた。
黒尽くめのコートに、薄いヴァイオレットのファー。
金髪の前髪から黄金の隻眼が見下ろしている。
予想外どころか見知らぬ訪問者にチューヅは気を悪くし
無言のままドアを閉めなおそうとした。
「俺はソンフィ。お前ンとこの相棒の元・対戦相手だ。」
が、閉まりかけるドアの隙間をソンフィは強引にこじ開け、自己紹介をねじ込んだ。
相手は細い腕といえど、脆弱なチューヅの力はとても敵わず、
あっけなくドアは全開にされてしまう。
「えんまに用なら、ここにゃ居ねーぜ。どっか知らねーがほっつき回ってる。」
「そりゃ好都合だなァ。」
追っ払うようにチューヅが言うと、
開いた入り口を両腕でつっかえ棒にして、ソンフィはにやりと笑んでみせる。
赤い唇の隙間から異様に発達した犬歯が覗いた。
意地でもここに居座る構えらしい。
「俺はてめェに用がある。
あの野郎を操って裏っかわで姑息なことしやがってるてめーにだ。」
「ハァ?操る…って、何の話だよ…」
チューヅが顎を突き出すと、ソンフィもあ゛ぁ?と不良特有の唸り声を上げ威嚇し返す。
ますます剣呑さを増していくそんなふたりの間に、
そこで別の声が
「コラコラ、急いてもシカタナイよ、ソンフィ。
君が喧嘩腰だから、チューヅがオビエテいるじゃあないか。」
と、割って入った。
ソンフィの後ろから姿を現した、男のクロメだ。
豪奢なフリルのシャツに身を包んだ、これも金髪の彼は
ソンフィの塞ぐドアの狭い隙間からぬるりと部屋に侵入し、チューヅの背後から、その両肩をポンと叩く。
「脅えてねーよ!ってか、勝手に入ってくんな!」
「ヤァ、私はスゥイーティ。
君たちにウラミはないけれど、ソンフィが仇討ちをしたいというのでついてきたモノだよ。」
両腕を振り回して暴れるチューヅの言が耳に入っていないのか、
スウィーティーは優雅な一礼と共に歌い上げた。
ソンフィまでもが奇異の目で彼を見つめる中、
スウィーティーは何かに気づいたような素振りを見せ、くるりとターンを決めると、
「おお、ここにオイシソウなカリーもあることだ!
トリアエズ、話はランチをとりながらにするってイウのはドウダイ?」
演技がかった感動ぶりを見せてから、ひらりと椅子の上に飛び乗り
まるで子供がやるように、スプーンで皿の淵を2回叩いてみせた。
いかにもとらえ所の無い、道化のような男だった。
「…生憎、セルフサービスとなっておりまして。」
隣に座っていたリラがぶっきらぼうに言って、おたまを寄越す。
「食ったことねェカレーだな。うめェ。」
はむはむと、米を食む音。
「有難う御座います。ルーから手作りなんですよ。」
それから食器のかち合う音と、時折交わされる短い会話だけが部屋を満たす。
10人前は軽く賄えそうな大鍋いっぱいのカレーも
数回のお代わりを経て、着実に量を減らしていた。
「そう、ルーとイエバ!」
そんな中、スウィーティーが急に高らかな声をあげ、皆のスプーンの動きが止まった。
彼は首に提げたナフキンで、さして汚れてもいない口元を拭うと、
きっぱりと、それこそあのメデネの審判を思い出させる口調で
「ルールのことから話そうじゃナイカ。
試合場所は私の出すアジトの中。
2対2の勝負で、内容はギュニア杯と同じ。
タダシ、相手が死んでしまっても失格とはしないものとする。コレでドウダイ?」
テーブルの面々が敵同士であると、暗に釘を指す。
カレーライスにすっかり和んでしまっていたが、
そういえばソンフィとスウィーティーは喧嘩をふっかけに来たのだ。
チューヅは決まり悪そうに隣のライバルを見やると、そうっとソンフィから椅子を遠ざけ、
ソンフィはソンフィで、目の前の相方にスプーンを突きつけ抗議しだした。
「待てコラ!これはチューヅと俺のタイマン勝負なんだぞ。
てめェは観客に徹するとか言ってたじゃねェかよ!」
が、スウィーティーはしれっと切り返す。
「ソレは相手が2匹いるとはシラナカッタからさ。
2匹を相手に負けたらドウスル?嬉しいかい?キミは。」
口の中で負けるわけねェと呟きながらも、ソンフィは口を尖らせ、若干の不安を露に席につく。
そういえば確かに彼女らはリラの強さがどのくらいだか知らない。
試合に出ていないからには、まぁ、戦闘員ではないのだろうが
相手が悪かったとはいえ、ソンフィもチューヅと同じく、初戦敗退の身の上だ。
万が一実力のある奴だったら負けるかもしれず、普段ならまだしも、これはリベンジマッチだ。
負けの上に負けを重ねるわけには、流石にいかない。
口達者なスウィーティーにソンフィが言い負かされてしまうと、今度はリラのほうが、ひくりと眉を顰めた。
「にひきですって?…何故私まで勘定に入っているんです?」
「え、仲間じゃねーか。」
リラはスウィーティーに問いかけたつもりだったようだが、答えたのはチューヅだった。
嫌な予感に逃げようとするが早いが手首を掴まれ、リラは露骨に苦い顔になる。
「…喧嘩なんか嫌ですからね。他人のなら尚更。」
「おいおい頼むぜー。女のほうはともかく、男のほうは3回戦までいった奴だぞ?
正直俺ひとりじゃ流石に自信ねーしよぉ…負けちまうって。」
「離しなさい。貴方が如何なろうと知ったことですか。」
言い合いを続けるリラとチューヅ。
横ではスウィーティーがニヤけている。
今のところ、全く彼の思惑通りに事が進んでいた。
チューヅがリラを説得して場に出させれば、彼女の実力が分かる。
その為に彼はソンフィに付きまとっているのだ。
スラバヤの手札全てを、樹樹に見せるため。そして、彼自身が退屈しないために。
もう一押しだと踏んで、スウィーティーは付け加えた。
「ではコウシヨウ。
私もソンフィも、リラに触れたらそこでアウトというトクベツルールを作ればいい。
それならキミは傷つかずにスムし、チューヅは有利になる。
ソンフィはフェアな勝負ができるし、私はタノシイ!ワレナガラ良いアイディアだ!」
チューヅとソンフィが、同時に「おお!」と歓声を上げた。
双方に利益があるとくれば、これはもう意地でも戦うしかない。
リラはとうとう空気に負け、諦めてカレーの最後の一口を咀嚼しだす。
スウィーティーの勝ちだ。
「そうと決まればハジメヨウか。」
空の皿を置き、歌うように囁く彼の右手には
小さな鍵が、金色に輝いていた。
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