コンコン。
ちゅたろうが荷物を詰めていると、ドアが丸い音を立てて鳴った。
彼が近づいて魚眼レンズから覗いてみると、廊下に花を持って立っている黒鋼刃の姿。
緊張しているのか、髪型やら襟やらをしきりに気にしている様にクスリとして
ちゅたろうはドアを開ける。
「よっ、おめでとさん。」
「…ありがとうございます。」
黒鋼刃は落ち着かなそうに会釈すると、いかつい顔を顰め、俯いて照れた。
彼女も女性なんだなぁと思うと、なんだかとても慎ましい仕草に見えて
ちゅたろうは可愛らしいと思ってしまう自分に苦笑する。
さっきまで黒鋼刃のことは、カッコいいとしか思っていなかったのに。
「ハハっ、そんな固くなんなくていーよ。拳で語り合った仲じゃんか。
玄関で立ち話もなんだし、上がってかない?」
「あっ、いえ…あ、で、でも、お帰りなんでしょう?」
ちゅたろうが大きくドアを開いて招きいれようとすると、黒鋼刃は首を伸ばして
スポーツバッグと荷物でごったがえしのベッドの上を示した。
汚い部屋を見られ、彼はアチャーと口の中に呟く。
「ううん、まだ退去まで1日あるから。
準備だけしとけば、ギリギリ明日の午前までは居られるだろ?」
「明日の午前…何か用事でも?」
黒鋼刃はしずしずと部屋に足を踏み入れ、落ち着かなそうに周りを見渡していた。
しかし、どうも彼女はちゅたろうの言う意味が分かっていないようで
ちゅたろうはため息をついて、
「ほら、明日!決勝戦!」
「も、もうそんな時期でしたか…!早いですね…」
「しっかりしてくれー?黒鋼刃も出るかもしんねーじゃん。
俺楽しみにしてんだからさー。」
黒鋼刃の広い背中をばしばしと叩いた。
彼女は自分がよもやそんなところまで登りつめていたとは、思っていないようだった。
白の比率の多い瞳が、驚きに真ん丸く見開かれる。
勝ち上がってきたことは喜ぶに値するが、その勲章が自分に似つかわしくないとでも思っているのか
小さく頷いた後、黒鋼刃は自信なさそうに肩を落とした。
「あと一戦なんだろ?勝てるよ。」
励ましの言葉に対しても黒鋼刃は寂しく笑い、小さな声で「ありがとうございます」とこたえた。
どうも自分の真意が伝わっていないようでもどかしい。
ちゅたろうは口を思い切り笑顔に見開くと、黒鋼刃の両肩に手を置く。
「俺、嬉しかった。お前がすげぇ、今までと違う戦い方してくれてさ。
あれが本気ってやつなんだって思った。だから、勝てると思う。」
「ちゅたろう、さん…。」
黒鋼刃は眩しそうに恥ずかしそうに俯いた。
ややあってゆっくりと唇を開く。
「ちゅたろうさんが、私の力を引き出してくれたんですよ。
第一印象では素人だと思っていたのに、
あの短い試合の中で貴方は成長して、みるみる私に追いついてきた。
幼い頃から狩りをしてきた経験はありますが、あんな相手は初めてです。
最後、貴方の隙を突けなければ、私の負けは確実だったでしょうね。」
たっぷり時間をかけて言い終わると、黒鋼刃は顔を上げた。
よく見ると、黒目に紛れて見えにくい瞳の奥の色が柔らかい。
「逆に、聞かせていただけませんか?
あのとき、何かに気をとられたように力が抜けたでしょう。
一体何を見ていたんです?」
「ああ、それはお前の…」
自然な流れで問いかけられて、うっかり答えかけたちゅたろうだったが、
自分が何を言わんとしているかに気づくなり、顔の温度がぐんと上昇した。
「私の、何ですか?」
「…っ、そりゃあ…」
喉の奥でこねくりまわされたような奇妙な声が、上ずってちゅたろうの口から出てくる。
黒鋼刃は神妙な顔で小首を傾げ、その仕草に妙に女の子を意識してしまう。
ますます答えづらくなって、ちゅたろうの瞳がきょどきょどと左右した。
「……無かったから…さ。」
「へ?」
「だから、その…っ!あー、ホ、ホラ、言わせんなよ恥ずかしいな!
お前が俺に、跨ってたときに……俺はお前のこと、男だと思ってたから…」
ちゅたろうに与えられたヒントを数秒間解釈し、
何をひらめいたか黒鋼刃の神妙な顔に鼻血がつうと伝った。
鼻を凝視されて自分でも解ったらしく、彼女は大慌てで「すみません」と繰り返しながら手の甲で顔を拭う。
ちゅたろうは気まずくなって、火照りを覚ますためにも顔を背けた。
「お、俺…っ!
女と子供に手を上げる気にはなれねぇっていうか、弱いもの苛めはしたくねぇみたいな、そんな主義でさ…
…でもお前が相手だったから弱いものじゃねぇよなぁ、強いもの苛め?そんな言葉あんのか…?
とにかくっ!自分のスタイルに反してんじゃねーかって、迷っちまったんだ。」
黒鋼刃の低い声が、いささかの落ち着きを取り戻して相槌を打つ。
「自分のスタイル…ね。」
「そこだよ。俺が、黒鋼刃は違うなって思ったのは。」
喋り続けることで煩悩を振り払えるかのように、ちゅたろうは捲くし立てた。
「俺じつは、時々心眼でお前の心、読んでたんだ。
けど、途中から何も入ってこなくなって。特に、一度気絶させた後な。
そのとき、黒鋼刃は頭で動いてんじゃねぇ、体がそのまんま動いてんだってわかったんだ。
それって、本能だろ。正直怖いくれぇだったよ。
頭で考えてから動く俺じゃ、やっぱついてけねぇし。戦士ってああいうもんなんだな。」
思ったことを精査する間もなく、ちゅたろうは片っ端から口に出した。
自分でも何を言っているかはよくわからなかったが、
きっと、これが黒鋼刃に自分が抱いた憧れが素直に表れでた形なのだと思う。
ようやく平静さが戻ってきて、一旦言葉を切ったとき
黒鋼刃が、ふふ、と柔らかく笑うのが聞こえた。
「そうですね。それが私のスタイルなんです。多分。」
ちゅたろうが顔を上げて見た黒鋼刃は、来たときよりもずっと自信に満ちていて、
それこそ荒れる前の凪のように穏やかだった。
この淀みの無い、恐ろしいくらいに強靭な真剣さと漢気に
ちゅたろうは再び惹きつけられた。
「決勝戦、楽しみにしててくださいね。」
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