ギュニア杯2日目:試合終了

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「…勝ちたかったのだ。」

部屋に入ると、迷歌はぽつりと呟く。
俯いたままの悲しそうな声。

「でも負けたのだ。樹樹がそう言ったから。」

不本意に終わってしまったギュニア杯を惜しんで
彼女はつんと唇を尖らせる。
電気のスイッチに手をかけると、パチンと音がして
部屋を明るく照らし出した。

「これで、良かったのだ…?」

「よくやったわメイちゃん。上出来よ。」

その問いに応える者がある。
ネタツザルの女性が歩み寄り、彼女を優しく抱きしめた。

「これでようやく、僕も安心できますね。」

遅れて入ってきたオオツノワタケの少年が
後ろ手にドアを閉め、くすくす笑う。
母親に甘える子供のように樹樹に抱きついていた迷歌が
振り返って、ぷうと頬を膨らませる。

「イドリーシってば、メイのこと最後まで信用してなかったのだ!」

「メイさん、ずうっとそれ言い続けるんですか?もうー。
 僕はただ、バレないかはらはらしてただけですってばぁ。」

イドリーシと呼ばれた少年も、負けずに同じように頬を膨らませる。
迷歌は真剣な表情だったが、彼のほうはどこか遊びのようだった。

「まぁまぁ、しゃあないですやろ。
 いえば樹樹の姐さんが仕組まれた八百長みたいなもんですさかい、
 イドリーシの兄さんが慎重になるんも道理ですわ。」

ふたりを宥めに、別のネタツザルの男が割ってはいる。
太い縞模様のTシャツに、ジーンズという砕けた格好で
ベッドに畏まって腰掛けており、
くるくると巻いた栗色の髪が
穏やかな笑みを浮かべる顔を縁取って
いっそう柔らかなものに見せていた。

悪意のない言葉ではあったが、樹樹には何かひっかかったようで
彼女は迷歌を手放し、腰に手を当てる。

「あっらら〜?」

その言い方にも、悪意はない。

「緋夜輝クン、なんか勘違いしてるんじゃなくて?
 お姉さんは八百長なんか頼んでないわよー。
 ただ、スラバヤの実力を知りたいって言っただけ。
 その手段としてベランジェくんが、八百長をしようって言い出した。それだけ。」

緋夜輝と呼ばれたその男は、
片手を立てて「いやはや失敬。」と訂正を受け入れた。
実際、彼女は迷歌がわざとえんまに負けたことを知っているわけだが、
それでも樹樹はこの件には一切関与していない。
そういうことになっているのだ。

樹樹。西会場の主催者。

本来なら実行本部に居て、偉そうにスタッフの仕事を見ているはずの人物だ。
その彼女がホテルの一室で出場者と繋がりを
持っているというのだから問題になりそうなものだが
部屋にいる中でギュニア杯の選手であるのは迷歌しか居らず、
それどころか観戦チケットを持っている者すら誰も居ない。

つまり、彼らはギュニア杯開催期間中「たまたま」ホテルに宿泊した
「一般客」なのであって、樹樹とプライベートに話そうが何しようが勝手なのである。
少なくとも、そういうことになっている。

「ヘイヘイっ!」

ふたりが不自然ににこやかな視線を交わす中に、
ぶんぶん黄色いメガホンを振り回しながら、一匹のトウナスモドキが横切ってきた。
ただでさえ大きな声に、否が応でも注目が集まる。
彼はせかせかした足取りで靴を脱ぎ、
ベッドの上に立ち上がると
メガホンを口にあてがって

「へいへい皆さんごちゅーもくっ!
 やぁ〜もう…ねっ!
 メイちゃんの活躍さぁ、すごかったよ!な!そう思わん!?ね!
 んでだよ!そこでアレだほら本題だ、
 試合の結果も出たとこでぇ、ですね。
 今回のしゅーかくについて話あおうじゃござぁませんか!えっ!?」

「…うるさいぞ☆」

耳を押さえながら、樹樹が答えた。

「いけずぅー。んなこったってさぁ〜
 喋ってないとベラさん生きてけないんだもーん…いじいじ。」

「喋るんは構わへんけど、せめてもうちょい音量下げてくれな。」

くねくねと身を捩って不満を表現するトウナスモドキ。
緋夜輝が苦笑して頼み込むと、しぶしぶメガホンの音量ボタンをいじる。

「あーあーあいうえお、がぎぐげご、これくらいなら宜しい…?
 …あー、ぅおっほん!んだばね、はじめちゃいましょっかね!」

酩酊しているようにも見える定まらない話しぶりで、
彼はぐだぐだと仕切りだした。
室内では暑そうなベージュの軍服に、白いフエルト帽。
こうみえて彼がベランジェ、この5人を指揮する軍師にあたる。

「はいー、取り出しましたるは、イドリーシくんが観察したメモ!のコピー!」

ベランジェは一声叫び(これでは音量を下げた意味がまるでない)、
ベッドサイドのティーテーブルにレジュメの束をどんと置いた。
手柄を評価されたイドリーシが、どうも、とウインクする。

「今回の試合の目的は
 えんまとかいう兄さんの強さの確認と、その抹殺でしたやろか。」

「そんな手間をかけるほどの相手には思えなかったのだ。」

レジュメを眺めつつ、迷歌が感想を口にする。
目では文面を追っていつつも、文章を読んでいるようにはとても思えない。

「確かにイドリーシが言ってたみたいに、力だけは強かったのだ。
 でも、メイの攻撃を避けようともしてないし、
 動きが一本調子だったのだ。本気でバカなのだ。」

「いやぁ、わかりまへんで。
 馬鹿の演技してるだけいう可能性も捨てきれませんしなぁ。」

「僕もそれについては考えました。」

イドリーシが咳払いのあと、解説をしだす。
レジュメを纏めた人物だけあって、彼は理解が早い。
教師の質問にすらすらと答える優等生のような口調で

「ですが、迷歌ちゃんの武器は相当厄介です。
 ちょっと頭を働かせれば、本体を叩くよりも
 まず武器を封じるほうが先決なのは、誰にだってわかります。
 それなのにえんまさんは、力で押し切ろうとし続けた。
 これは、自分でものを考えていない彼にとって
 りんきおうへんな戦略をとることができず
 試合前に誰かに吹き込まれた戦い方を
 無理やりにでも強行しちゃってる…っていう状況なんだと思います。
 彼はシロですよ。でしょ、ベラさん?」

小首をかしげてベランジェに話を振ると、
彼はたまらんという顔でイドリーシを指差した。

「ピンポーン!キミ良いトコに目ーぇついてるねぃ!
 そーゆー細かいテストをいーっぱい仕組んだのに、
 気づいてもらえなかったらドーシヨーと思ってた、憂えていたんですよ、ぼかぁね!」

「ひどいのだ!そんなこと調べてるだなんて、メイは知らなかったのだ。」

「敵をあざむくにはまず味方から。けんぼうじゅっすうの基本ですよ。」

身を乗り出す迷歌に、イドリーシは両手を胸の前で合わせ、可愛く謝ってみる。
もちろん馬鹿にされたと感じた迷歌は、ぷんぷん顔を赤くするばかりだ。

「むーっ!メイにはわかんないことだらけなのだ!
 だいたい、どうして今更えんまのことなんか話さなきゃいけないのだ?
 アイツはメイが毒でやっつけたのだ。
 カーキスの毒に耐えられるリヴリーなんていないのだ。」

「そこはお姉さんも聞きたいとこかな。
 救護班は基本的に、ギュニア杯試合中に負傷した患者を優先するから
 試合『後』に毒が回ったえんまクンに対応するには色々と手続きがいるの。
 処置は必然的に遅れ、手遅れになっていると思うんだけど。」

樹樹が腕組みをして窓際に腰掛ける。
彼女は首謀者ではあるが、内容には関与していないらしく
あいかわらず不気味に硬直した笑みには
どことなしに面白がっている風な色が見て取れた。

「いやいや、彼は助かる可能性もあるのよ。
 チームスラバヤのブレインにそれだけの力量があればだけどに。」

謎めかして答えるベランジェの言葉を、緋夜輝が「ははぁ」と言って繋ぐ。

「えんまが完全に傀儡なら、
 それに指示を与えている者の手並みも拝見できるっちゅーわけですな。」

緋夜輝の言葉を肯定するように、ベランジェは意味深な笑みを浮かべた。
つまり、前回の戦いで迷歌は
えんまではなく、えんまの裏方と戦っていた――ベランジェはそう捉えている。

「これからベランジェの兄さんは、えんまを動かしとる裏方―
 ――現段階ではジャスタスだと推定されよるチームスラバヤのブレインが
 どれだけの奴なのか、えんまの命を救えるかどうかという試練を与えて
 能力を測ろうとしてるんやないやろか。」

「えんまクンを助けるには、メイちゃんの毒が蜂毒だと見抜き
 さらにはカーキス種の毒と判断して適切な応急処置をとる必要があるわ。
 救護の応援を受けられない状態で
 どこまで機転を利かせられるかが勝負…面白いテストね!」

ふうん、と迷歌も納得したような声を漏らす。
専門分野である毒の話が出てきたことで理解が促されたらしい。

「ピンポーン!みんなわかってきちゃった系かしらん〜?
 明日の試合までにえんま君がスクスク元気に生きてりゃぁ、
 相手もそれなりに頭のよろすぃ秀才チャンだってことさね。
 生きてなかったら…んまぁ、それはそれで敵が1匹減ったってこ・と・で。」

「結果は明日、ホテル内の監視カメラでも漁って確かめてみましょうや。」

たのしみです!お菓子を手にした子供のような口ぶりで、イドリーシが喜ぶ。

「これでえんまさんとジャスタスさんについては問題ありませんね。
 他、ノーマークなのは誰ですか?
 そもそもチームスラバヤは4匹とも5匹とも言われてますし
 調査担当の僕としては、
 あと何匹調べればいいのか、そろそろ知りたいです。」

続いて、イドリーシは話題を移した。
快活な口調はそのままに手持ちの鉛筆をくるくる回して尋ねる。

「人数が不確かなことについては、わてが説明しましょか。
 きっとその多いぶんの人数っちゅーのは
 ジャスタスの兄さんが変装してる姿ですやろ。
 あん人、物騒な商売柄、身分詐称がえらい得意でしてなぁ…
 ひとりが何役も演じる。わてらの業界ではよくあることですわ。」

物騒なんはわても同じやけど、と冗談にならないことを口走りながら
緋夜輝がくつくつ喉を鳴らした。
温厚な顔に、一瞬だけどす黒いものが感じられるのは、気のせいだろうか。

「だもんで、ターゲットの人数を考えるときは、
 きちんと確認がとれている人数のみで考えたほうがいいでっせ。
 今のところ、存在が確実なチームスラバヤは えんまとジャスタス…
 それにチューヅとリラを加えた4匹や。
 メンバーはそいつらだけやと思っとったほうがええ。」

話終わったところで、彼はすっと気配を収めた。
チューヅの名前が出たところで
樹樹が足を組みかえ、会話に参加する意思を見せる。

「チューヅちゃんはお姉さんの知り合いだからだいじょーぶ。
 よく一緒に狩りに行くけど、囮役にしかならないの。
 確かに逃げ足は速いかもしれないけど、はっきりいって敵じゃないわよ。」

「モンスターを倒した実績は?」

「見たこと無いわね。」

イドリーシは成る程、と呟いて、レジュメの空白になにやらメモを書き込んだ。
後で樹樹に詳しく話を聞くつもりらしい。
レジュメを折った紙ヒコーキが、つうっと部屋を飛んでいく。
床にしゃがみこんだ迷歌の仕業だ。

「メイは、リラとかいう奴もノーマークでいいと思うのだ。
 戦力になるようなリヴリーなら、ギュニア杯に出場させてるはずなのだ。」

「うん、確かにメイっちみたいな解釈はできるよ。
 だがしかし、駄菓子菓子!
 飼い主が存在しないとか。相手を殺してしまうほど強いとかとか。
 出場しない理由は、他にも山ほど考えられるんだなぁ、これが。」

しばらく黙っていたベランジェが、よっこらせーと無駄に大声を上げながら
ベッドの上から立ち上がった。

「ぼかぁの意見を述べさせてもらうとだに、
 チューヅ君もリラちゃんも、ちょっと引っかかってんだよね。
 チューヅ君はあーんなあっさり負けちゃってさぁ、
 手の内を全く明かしてないし、逆に怪しいってゆーかさぁ、みたいな?
 あの目立つ負け方が、逆に注目を集める演出のように思えてならんのだよぬ。
 あっ、別に、ぼかぁより目立って羨ましいなーとか
 嫉妬したりしてないよ?ほんとよ、信じてね?」

靴を履きなおし、ティーテーブルの周りをゆっくりと一周する。
ベージュの軍服はトレンチコートのようで、なんだか推理をする名探偵のようだ。

「リラちんについてはもっとおかしい。
 最初はぼかぁも、知り合いの戦いを観についてきたんだと思ってたよ?
 だけど、その割りには観戦しに行く様子もないし、
 ひがな一日料理をしながら、部屋にひきこもりっぱなし。
 そんな生活、健康に悪いっ!もっと外に出て明るく友達と遊ぶべきっ!
 …っていうのもそうなんだけどさ、
 それってギュニア杯期間中にここに居る意味がないじゃろ?ほい。」

ベランジェはひとりひとりに目をやって、理解を求めると
再び靴を脱いでベッドに胡坐をかきに行った。
白い靴下がまぶしい。

「言われてみれば怪しいですな、ほんまに。」

「メイはもう負けるのは嫌なのだ。」

再び調査の予感を感じ取った迷歌が、あからさまに嫌な顔をしてみせる。
一度裏切りともとれる使いかたをされたことが
彼女のプライドを相当傷つけたらしい。

緋夜輝は短く同意を述べ、イドリーシも鉛筆を軽く咥えて考えこんでいる様子で
特に肯定でも否定でもない、保留の時間が流れる。
しんと静まり返った部屋の中、
べランジェが再びメガホンを手に、大声で叫びだした。

「そうそうそう。そう言われると思ってぇ、
 もう、ちゃぁーんと手は打ってあるんスよぉ、ねーっ?樹樹さぁん?」

「えっ?」

既に作戦が進んでいるだなんて、3匹は全く聞いていなかった。
急な宣告にみんなが驚いて窓際を振り向くと、
樹樹がひとりだけ訳知り顔で、Vサインをしてみせた。

「バッチリよ☆」