ギュニア杯2日目:試合終了
カタンと何かの音でチューヅが目を覚ますと、
椅子から降りたリラが病室を出ていくところだった。
せわしない足取りが、何か只ならぬ気配を感じさせる。
「姉御?」
「今、外で声が…、」
彼女はきょろきょろチューヅと外を交互に見たが、
廊下の一点に目を止めるなり
「来なくて良いです。」とだけ言って走っていった。
その後を追って、チューヅも点滴をガラガラ引っ張りながら出ていく。
チューヅ達の部屋のある通路と、ロビーに通じる通路の2本で構成される
T字路の中心に、えんま達の姿が見えた。
ぐったりと力の抜けたえんまをドルテが背中に乗せ、ジャスタスも肩を貸している。
「どっ!どーしたってんだよ!」
「来なくて良いって言ったのに。」
リラが不満そうな声で言うのはまるで聞こえていないようで、
チューヅは一目散に相棒に駆け寄ると、何度も何度も名前を呼ぶ。
えんまがゆっくり顔を上げると、
軋みながらえんまを支えていたドルテが重さに耐えかね膝を折った。
大きな身体が腕の中から、滑り落ちるように床に横たわる。
「ぼく、まけてないよ、チュー…」
呼吸か寝言か判らないほど弱弱しい声で、えんまが言う。
チューヅは押しつぶされるのも構わず、彼の頭にしがみついた。
「構わねーよ、そんなこたぁ。
それより何があったんだ!ハゲ!」
「対戦相手の武器に毒が塗ってあったらしくてな。
しかし、そんなことは有り得ない。僕の見ていた限り、彼女は毒使いなんかじゃ…」
「May be、蜂しゃんの毒と思うワヨ。」
取り乱しているジャスタスに代わって、ドルテがきっぱりと口にした。
こういう時彼女はとても冷静だ。
額に滲んだ汗を拭くと、糸を手にくるくると巻きつける。
「医者かなんか呼んだんですか?」
「ダリンがもう呼んデル。医務室ヨリ部屋のが近いから、ソッチに運べイワレタ。
ネェ、糸出してOK?そじゃないと重スギくて運べにゃい。」
「あそこにカメラがある。モンスターが居るとバレたら…」
「非常事態になに言ってんだ!えんまが死んじまうかもしんねーんだぞ!」
チューヅが怒鳴った。ほとんど涙声だ。
「しっ、静かに。」
ドルテが糸を出そうと息を吸い込んだ。
喧嘩になりそうな間に、リラが割って入る。
彼女が顎をしゃくって示すところによると、
ロビーの方向から慌しい足音が聞こえてきていた。
チューヅもジャスタスもぴたりと黙り、
ドルテは目深にフードを被り直した。
誰もが救護が到着することを期待していたのだが、
角を曲がってきた姿、弾むような足取りは
ホオベニムクチョウのものではなかった。
落ち着いた緑色の制服に、赤いラインの入った腕章をつけたワイズウッドのトビネが
角からひょこりと顔を出し、きょろきょろ左右を確認すると
チューヅ達を見つけて駆け寄ってきた。
「チューヅ様、でよろしいでしょうか?」
息を切らして彼が尋ねると、チューヅは躊躇いがちにうなづく。
何の用かと猜疑心に満ちた目が向けられる中で、
トビネはごくりとつばを飲んで呼吸を整えると
懐に手を差し入れ
「良かった。貴方に至急これを届けるよう頼まれまして…」
それは小ぶりの瓶だった。
光を通さないように黒い色付きのガラスで、振ると中にとろりと影が動く。
「誰からだよ。」
「さぁ…イッカクフェレルの方のようでしたが。
身分は明かさず、ものすごい剣幕で、ただ…」
トビネはちらりとえんまに目をやってから、
「解毒剤なので、すぐに一瓶飲ませろ、と。」
チューヅは黙って手を伸ばした。瓶が掌に納まる。
職業柄、客に余計なことは言えないのだろうが、
若い職員は、まだちらちらとえんまを見やりながら
「差し出がましいかも知れませんが…」
「救護はもう呼んだぜ。」
「そうですか。ああ、ですが急ぐよう、私からも伝えてまいります。」
トビネはそれ以上質問が無いことを確認してから、では、と仕事に戻っていった。
彼が立ち去っていったのも頷ける居心地の悪い空気と、
互いの意向を探る鋭い視線が四匹の間を満たしている。
「…んなこと言ったって、飲ますしかねぇだろうが。」
口火を切ったのはチューヅだった。
「何も言ってませんよ。罠っぽいとは思ってますけど。」
「僕も同意見だな。この薬が毒だったら手に負えないぞ。」
「But、オクスリはコレ以外nothingデショ。」
「スズメバチの毒なら、専門家に診せないと危ないと思いますよ。
聞けば、ゾッドとクインでは対処法も変わってくるんでしょう?」
「だから相手は毒使いじゃ…」
「てめーの読みは外れたんだっつの。もう毒だってことにしとけよ。」
けんかはやめよう、とえんまが呟いた。
だが、それも言い争いの方面に向かっていく話し合いの中では聞こえない。
えんまの体が熱を帯びていくのに反比例して、
周りの面々はどんどん冷静さを欠いていく。
「素人判断で迂闊なことしてどーなっても知らんぞ。」
「救護さん遅いですね…誰が敵だかわかりゃしない。」
「とにかく…あっ!」
そのとき、熱くなったチューヅが握りこぶしと一緒に振り上げた瓶を
ドルテが素早くひったくった。
止めるのも聞かず栓を抜き、えんまの顔を上げさせると口に突っ込む。
大量の液体に彼は少し咽たが、数秒して喉仏がごくりと上下する。
へたり込むチューヅ、青ざめるジャスタス。複雑な表情で傍観するリラ。
「コレでOK。」
「驚きましたね。」
救護の者はそれからまもなくして到着したが
えんまの額に手を当てて驚きの表情を浮かべた。
「かなり回復を見せているので、判断し辛いですが、
おそらくカーキス種の毒でしょう。
どなたか、専門家の方がいらしたんですか?
早めに処置が施されていたので、大事に至らなかったようです。」
もちろん、チームスラバヤにそんな知識のある者など一人も居ない。
4匹は、はぁ、と曖昧な声を漏らすと
ぽかんと口を開けているしかできなかった。
それから救護班は担架でえんまを部屋まで運び、
少しの解熱剤と予備の薬を置いて、
また試合で急患が出たと言って嵐のように去っていった。
それ以来、冷や汗もぴたりとおさまり
30分も経つ頃には、今まで死に掛けていたのが嘘のように
しゃっきりと意識を取り戻した。
「これ、すごくまずいんだもん。やだなあ。」
ベッドを揺らしながら、枕元のコップに入った薬を眺め、
えんまはぺらぺらと文句を並べる。
無遠慮な振動に、一緒に寝ていたチューヅが呻く。
本来えんまの一人部屋のため、
ベッドは大型のものがひとつしかなく、共同で使わなければならない。
「おら、ベッド揺らすんじゃねーって!傷に障るだろが!
薬は一応飲んどけよ?まだ毒が残ってっかもしんねーんだからよ。」
「ごめんごめん。でも、ぼく、げんきだよ。ほんとだよ。」
言いながらもえんまはどすんと腰を下ろし、遂にチューヅの怒りをかった。
「…解せない。」
ぎゃあぎゃあ煩く騒ぐふたりの横で、ジャスタスが静かに呟く。
毒の騒動があまりに呆気なく終わり、気の抜けてしまっているのは皆が同じだったが、
ジャスタスは一番取り乱していただけあって、
特に力尽きてしまったようだった。
部屋に帰ってきてからは
放心した表情を浮かべ、じっとしているだけだ。
「まだダリンは拘てるノ?ドルテチャンの言うとおり、蜂しゃんの毒だたジャマイカ。」
彼の座っている椅子の後ろから、ドルテが腕を絡めてきた。
ジャスタスは首を振り、彼女の手に手を重ねた。
目線の先には、コップに入ったあの薬がある。
救護のものから渡された、解毒剤。
とろみのある群青色をした液体は、先ほど『誰か』に渡されたのと同じ成分をしていた。
「解毒剤が送られてきたことについてだよ。
毒の内容を知っていた奴か、毒についての知識のある者しか考えられないが
えんま君を助けて利益のある者が、僕には全く思い当たらない。」
「きっと、エンマと戦ったアイテがクレタのワヨ。」
「えんま君を助けて、どうするんだ。」
ドルテは天井を見上げて考え込んだ。考えるのは彼女は好きではない。
すぐ退屈になって、椅子をギシギシいわせることに熱中しだしてしまう。
しばらくギシギシやった後、彼女は「ア!」と声を上げた。
別のことに思い当たったようだった。
「ダリン!もうすぐシアイのジカンダネ!」
その言葉に、ドルテの手の中で
ジャスタスの肩が、一瞬強張った。
まるで、思い出したくなかったことを思い出してしまったような態度だ。
「…ダリン?」
「ああ、そうだったか?…忘れていた。」
心配そうに覗き込まれ、ジャスタスは無理やりともとれる笑顔を作ると
立ち上がって、そそくさと部屋を出て行く。
「シッカリネー!」
ドルテの声が後を追ったが、返事は無い。
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