ギュニア杯初日試合終了

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意識が戻ってからチューヅは自室療養に切り替わり
点滴に繋がれながら、
餌屋にひとりで行って無事帰ってきたえんまの報告を逐一聞いていた。
隣部屋のドルテも、ジャスタスの帰りを待って
冷蔵庫の上からリラにちょっかいをかけている。
カレーの匂いを含んだ湯気が心地よく充満し、
彼がまどろみに引き込まれそうになった矢先だった。

コンコン、とドアが鳴る。

「お邪魔します。」

誰か確かめる前にえんまがはぁい、と返事をすると
ノブが回って、真っ黒なプリミティブブラックドッグがひょこりと覗いた。

「てめぇ…!」

それが初戦でチューヅを倒した張本人、黒鋼刃だったので、
部屋中(主にチューヅ)に一瞬の緊張が走る。
怪我の身体で跳ね起きたチューヅを、黒鋼刃は神妙な顔つきで制止した。

「待ってください。これ以上貴方の顔に泥を塗りに来たわけではありません。」

「じゃあ何しに来たってんだよ。」

チューヅは飛び出さんばかりの勢いで、えんまが押さえていなければ
再び黒鋼刃に向かっていったに違いない。
今を隙と見たか、黒鋼刃は素早くベッドの傍まで距離を詰めると

「謝りに来たのです。」

バスケットをひとつ取り出し、丁寧に置いた。

これは罠なのか、それとも本気でやっているのか。
判断しかねてチューヅは何度も、バスケットと黒鋼刃を見比べている。


「食卓を空けて下さいな、御夕飯ですよ皆さん方!」

思案の中、キッチンから甲高い声が怒鳴って
リラが狐色をした揚げ物がこんもりと盛り付けられた皿といっしょに出てきた。
おいしそうな匂いが、緊張感やらなんやらを一気に取っ払っていく。
リラに続いて出てこようとするドルテに気づき、チューヅが顎をしゃくってみせると
えんまが慌ててキッチンの前に立ち塞がりに行った。
ここにモンスターがいるとバレてはいけない。
部屋のものが隠蔽工作に夢中で
テーブルの上のノートやら菓子袋やらをのけようとしないのを見かねて
黒鋼刃がさっと手を貸すと、
その仕草に気づいたらしい彼女は大きな器の向こうから
「あら、お客様?」とお辞儀をする。

「またお会いしましたね、リラさん」

黒鋼刃が人懐こく目を丸めると、
皿がテーブルに衝突してがしゃんと大きな音を立てた。



木と陶器のぶつかり合う音を境に、全員の視線がテーブルの二人に集中する。
皿は割れはしなかったが、唐揚げがいくつか卓上に零れ落てしまった。
リラは硬直したまま、呆けたように黒鋼刃を見つめているだけだ。
ポニーテールが動きに少し遅れてはらりと揺れる。

「すみません、人違いだったようです。てっきり私はリラさんかと…」

黒鋼刃はリラの髪型がさっきと違うことに気づき、狼狽しながら謝罪を述べた。
が、もう一度名を呼ばれるとリラは我に返り、
唐揚げを拾いに伸びた手を避けるように素早く身を引き、テーブルの反対側に回る。
さっき助けられた時とは正反対の不信感に満ちた視線が黒鋼刃に注ぐ。

「ともだち、なのかい?」
「とんでもない!全くの初対面ですよ…何故私の名前なんか。」

えんまがきょろきょろ割って入ったのを、リラは神経質に一蹴した。
正規のリヴリーではない身分が警戒心を掻き立てているのだろうが
黒鋼刃のほうはそんな事情は知らない。
目を擦って目の前にいるリラの姿を確かめる。
さっき会ったときリラはショートカットだったはずで、
こんな短期間に、こんなに毛が伸びるわけがない。

「何があったか解りませんが…リラさん、なのですね。
 私を覚えていませんか。怪しいものではありません。
 つい先程マハラショップの裏で別れた、黒鋼刃です。」

顔がよく見えるように前髪を掻きあげてみせる。
しかしリラは反応を見せず、代わりにチューヅがぴくりと動いた。

「つい先程?んな訳ねぇだろ。
 今の今まで、姉御はこの部屋で料理してたんだぜ?」

「え?」

黒鋼刃は口を開いたまま、ますます狼狽してしまったようだった。
ですが、しかし、と繰り返し、説明を求めるように部屋を見渡す。
まるで幽霊でも見たような気分なのだろう。
彼の反応は無邪気そのもので、嘘をついているようには見えなかった。

「…本当に私と会ったと仰いますか。」

無実さを見て警戒を解いたのか、リラが少し柔らかな口調で言った。
考え込みながら、奇怪な位置に首を傾げると
顔の作りも仕草も愛らしさとは程遠くて、思わず黒鋼刃は否定しそうになる。
そんな葛藤を知らず、彼女は続ける。

「さっきクモさんと話してたんですが…」

「クモ?」

話の途中だが、その一語で黒鋼刃の頭からリラのことも葛藤も全てが吹っ飛ぶ。
表情がたちまちハンターのそれに豹変するのを察してチューヅが叫んだ。

「クモってのが俺のポフの名前なんだよ!だよな姉御!?」

軽く唇を押さえ、リラがあわてて口裏を合わせると
元通り理性的な黒鋼刃が徐々に戻ってくる。

「そ、そうですか。そんなに必死にならなくても…」

「ったく。紛らわしい呼び方すっと、まるでここにモンスターがいるみてぇじゃねえか!
 そんなわけはねーんだけどな!で、俺のポフが、なんて言ったって?」

「ええ、ポフさんの話でしたっけ。
 彼女も、さっき外で私に会ったとか仰ってましてね。
 ピグクロさんと口論して泣いてたらしいんですけれど
 なんでもこのくらい髪が短くて、ワンピースで、ごく当たり前のリヴリーのようでしたとか。
 その時は馬鹿な話だと思い、聞き逃してしまったのですが。」

眉を顰めて言葉を切る。
その時の表情が、腕を掴まれて唇を噛んでいたあのリラとオーバーラップする。

「若しや貴方が見かけたのはそれですか。そういう…その…カンボジャクですか。」

黒鋼刃が頷くと、

「…その方、今はどちらに?」

彼女は珍しく、焦った声音で問いかける。
その時、息を荒げながらジャスタスが部屋に飛び込んできて、

「あンの害鳥は本当にどこ行きやが…あ、居た。」

見失ったらしいと知るなり
リラは残念そうに「そうですか」と呟くと

「徒労でしたね、ご苦労様です。冷める前に席に着いてしまいなさい。
 お客さんも一緒に食べて行けば宜しいでしょう。」

などと言いながらキッチンに戻ってしまい
それきりその話題に触れることは無かった。