食糧征服計画 02

「た……しかにそのほうが不躾な口を利くよりはマシかもしれんが…… ばか、早まるんじゃない!」

今にも舌を噛み切らんと、いよいよ大きく口を開けると、ジャスタスは
こんなボロボロのカンボジャクといえど、折角の売り物を傷ものにしてしまうのは惜しいらしい。
ジャスタスはしばらく憎々しげに迷っていたようだが、終いには諦めたのか電話帳を下げる。

「何か言うことでもお有りで?」

もう彼は暴力に訴えても無駄だと悟ったらしい。
勝ち誇った風にリラが笑うと、ジャスタスは心底悲しそうに首を振った。

「君の幸せを思ってのことだったんだがな…残念だ。」

「へーぇ、初耳ですね。勝手なニンゲンどものオモチャに成り下がるのが幸せとは!」

ジャスタスはリラの皮肉を溜息で聞き流す。
しばらくの後、彼はもう一度口を開いたが、しかしそれはリラに対して言ったのではなかったのだ。
深い柘榴色が、真摯にアルケニーに照準を定める。

「コガネグモのお嬢さん。君とは種族を異にしているが、想像力を働かせて頂ければわかるだろう。
 僕たちリヴリーは君らと違って、ひとりでは完全でない存在だ。
 リヴリーは飼い主の一部。半身を失ったリヴリー程空しいものは無い」

「半…身?」

「そうだ。
 知っているか。君たちは成長の過程で、ひとりでに感情を覚えていくだろう。
 僕らは違う。飼い主から伝わった感情しか知らない。
 考えてもみてくれ。彼女が飼い主から受け取った感情とは何か。
 愛情だったか?否。
 それは不信や、憎しみや、その他諸々の負の感情ではなかったか。
 体についたって同じこと。この細い腕。燃費の悪さ。
 おかげで中華鍋だって体全身で頑張らなければ持ち上げることすらままならん。
 その証拠に、作って食って、その後は昏々と眠らなければ体がもたないだろう。違うか?」

それは、コガネグモ族の小さな頭には入りきらないような話だった。
アルケニーはリラに正誤の判断を任せようかと振り向いたが
リラは黙って俯いたまま、何も訂正しようとしない。
邪魔が入らなかったので、ジャスタスは続けた。

「友人がこんな状況なのを見逃せる訳がないだろう。
 それもこれも、飼い主を持たない、不完全なリヴリーなのが原因だ。
 不完全なリヴリー即ちバグ。可哀相に、彼女は自分ひとりで腹を満たすことすらできない。
 だが、飼い主がいたらどうか?」

肉弾戦で分が悪いなら、口で言いくるめてしまえばよいのである。
弁論演説講釈の類はジャスタスの十八番だった。
難しい言葉のオンパレードに頭をいっぱいいっぱいにされてしまい、
アルケニーにはその殆どが理解できなかったが
なんだかそれらはとても権威があって、信憑性があるように感じられる。

「飼い主が居れば、バイオレコードを精製することができる。
 もう飢えることなんかないんだぞ。本当に喜んだり悲しんだりできるんだ。
 そういう体験を全て現実のものにさせてやろうとしているのが、
 この僕がしようとしていることの本当のところなんだ。
 これら全て、ニンゲンの研究者が長年の研究を重ねた末証明した厳粛なる事実!
 多少の無理を伴っても、彼女の未来を思えばこその決断なのだよ。
 どうだね、君からも言ってやってくれたまえ。」

アルケニーは余りに多くの情報を、いっしょうけんめい咀嚼しようとした。
何度か体をもたせかけた鍵をいじりながら考えてみたが
それは極めて表面的で、結局やっぱりわからず、
最終的になんとなく友人が不遇らしいという一番簡単な点には賛成できた。
しかし、それは何だかとても、とても…

「リラ女史は、いつもお腹が空いているんでありますか?」

首をかしげて問う。
けれど彼女にはそれらがとても
思いやりから発せられた言葉には、思えなかったのだ。

「その通りだ。」

ジャスタスは答えた。

「飼い主がいないから、リラ女史はお腹いっぱいにならないんでありますか?」

「そうだよ。」

「お腹がいっぱいになることは、嬉しいことでありますか?」

「いかにも。」

君はよく知っていることだろう?と、ジャスタスが促す。
アルケニーは少しだけ思案の後、

「リラ女史!」

と、友人の肩にぴょんと肘をもたせかけた。
そして、リラが投げやりに振り向くと、その耳元に顔を寄せ、優しく言い含めてやる。

「美味しいものを、一杯食べられることも、すごく幸せなんでありますよ」

彼女は黒の多い目をまん丸に見開いていたにも関わらず、
自分の発言がふたりのリヴリーを面食らわせたのに全く気付かなかった。
ゆっくりとした時間の中を、ぼそりと答えが返ってくる。

「ええ、よく存じ上げておりますとも」

「で、ありますって。ジャスティス殿。」

アルケニーはほっと胸をなでおろすと、もう一度だけ、ジャスタスのほうを向く。

「リラ女史、幸せでありますよ。
 だからきっとその研究、嘘であります」

彼女は誇らしげに告げ、そして思い切り、腕の中の鍵を捩じる。
カチリと軽い音がして、乗っていた錠前の跳ねたので、
彼女は毬みたいに弾んでから地面に降り立った。

「鍵も開いたであります」