08:librarie

ヒーナの砂漠には、度々砂嵐が吹き荒れる。その日の夜もそうだった。
砂と共にがらくたや読み終えた手紙、その他もろもろを巻き込んで、
自由気ままに吹く風はその日の進路を西南に定めた。

大体の島が等間隔に並ぶスラバヤ群島の外れに、ぽかりと島1個分のスペースが空いた場所がある。目にはサーバーの海面が波打っているようにしか見えないその空白に、実はkeyを応用した(アナグラ亭やアメンボ公園と同じ機構だ)ワームホールが開いていて、砂塵はその隙間に吹きこんでは消えていた。
そんな隙間から、苛立ち紛れの声が聞こえる。

「はーくん、開けたものは閉めて下さらない?」

「おー、悪ぃ悪ぃ」

客人と、島主の少女の会話である。
不思議の国のアリスにでてくるウサギ穴を彷彿とさせるワームホールに一歩踏み入れると、左右びっしり本棚に囲まれた穴をどこまでも落ちていく羽目になる。そういう場所だと知っていなければ大怪我必至の仕掛けだが、幸い客人は“心得た”ほうに属していた。最も底の階段の島に降のり立ったのは、恰幅の良い山吹色のミンツだ。もこもこしたパーカーにスウェットというラフな出で立ちは、上品な島に到底似合わなかったが、気にせず彼は、ずれたサングラスを持ち上げる。

「……あんな上まで戻るのか、面倒くせぇ」

悪びれないミンツに、キャンディスノーの島主は「もう!」と神経質な叫び声を上げた。

「あなたが入ってきたあそこから、一体何が落ちてきたと思う?
 ゴム鞠よ、ゴム鞠!屋内に居てゴム鞠に頭を叩かれるなんて、どうかしてるわ!」

頭を指さす彼女の言うとおり、ゆるくふたつに纏めたお団子ヘアは、キャンディスノー独特のふんわり感を保てず、ぺたんこに潰れてしまっている。上品なセピア色のエプロンドレスの腰に手をやって少女は怒ったが、ミンツが動く気配さえ見せないので、とうとう痺れを切らして指を鳴らした。蔵書整理に勤しんでいたポフの数匹が手を休め、ふわふわと天井に上っていく。

「あーあ、お茶をむらしすぎちゃったじゃない。まずくったって、わたしのせいじゃないわよ」

キャンディスノーは砂塵が吹いてこなくなったのを確かめてから、ティーテーブルへと踵を返す。ピンクポフが三客目のカップを持ってくるのを待ってから、彼女はアッサムティーの素敵な香りを部屋中に満たした。


「やぁ葉山。今日はミンツか。最新の限定種はユキムグリだったろうに何でまた」

猫足ソファにどっかり落ちつく次に声を掛けたのは、壁に寄り掛かって本を読んでいた細身のピグミークローンであった。鈍色の毛色に、青白い肌。柘榴色の瞳。無性に神経を逆なでするその声は紛れもなくジャスタスのそれだったが、短い髪と着流しのせいで、どことなく違った印象をもたらしていた。

「ちょうどトラカが手に入ったんだ。似合うだろ?」

葉山のネオベル狂いは、仲間内では有名である。
それは職業上のメリットでもあったし、彼の趣味でもあった。トレードマークの山吹色と下唇のピアスで、馴染みの相手はだいたい彼だとわかってくれたので不便はしない。ずぼらな彼には、いちいち身だしなみを整えるよりも、種族ごと取り換えてしまったほうが、清潔感も毛艶も保ちやすいのである。
ジャスタスはちらっと葉山に目をやって

「種類を変えた所で見た目が改善するでもなし、物好きはこれだから」

「おう、俺、アンタほどナルシストじゃねーしな」

葉山は動じない男だった。同僚の嘲笑を、自分の種族に固執するあまり不便を強いられている相手の滑稽さで切り返す。不安定な変化魔法で身分を騙るのは容易ではないのだが、ジャスタスは自分の姿に惚れこむあまり、体の組成をいじるのを頑なに拒むのである。データ生物の癖に何を、と葉山が思っているのは態度にまるきり表れていた。

全く毛色の違う三匹の共通点は、全員が商売人だということである。
葉山は問屋。アイカワ・ミュージックという楽器商の傍ら、後ろ暗い商品の仕入れを行っているが、手を広げたがらない彼は一見さんお断りで、交友網が狭い。
ジャスタスは副業に小売業を営んでいるため、葉山からの商品の受け渡しも請け負っている。本業は僧侶なので手は汚したくないからこその仲介業である。
そしてもうひとり、一番頼りなさげに見えるキャンディスノーの少女は

「そうね、ひとの趣味とジャスたんのナルシシズムをとやかく言う気はないわ。
 だけど、はーくん、そのトランシロンカードの入手経路はちょっと問題よ」

彼女こそがセシル・ラ・シュク・ド・ネージュ、あまり知られていないが優秀な情報屋である。
少女のような外見をした彼女はポフを自分の目のように操り、取引記録から会話ログまで、成文化された情報なら右にでる者なしでアクセスできる。本に囲まれているから司書のようだが、人間に例えるならハッカーだといえよう。もっとも、その能力を発揮するには、自島に籠ってひっきりなしにデータを読み漁る必要があるのだが、外部との交渉はジャスタスと葉山をこき使うことで賄うのである。
彼女は、にやっと悪戯っぽい頬笑みを浮かべると

「ポーン質店から受け取った品なんでしょう。
オレンジ島のニナがまとめて質に入れたトラカ30枚のうちのひとつで、
貸付期間はまた過ぎていないから、所有権はまだ彼女にあるわ。
それを使うなんてどういうつもり?」

「そろそろ研究発表会の時期だ。期限まで待ってたら暴落する見込みがあるから
先に売り捌きたいっていう質屋からの要求だ。ミンツは俺が手数料に貰った分。
……大丈夫、ニナは破産寸前だから返せる見込みはほぼゼロだよ。文句無いだろ?」

葉山は堂々言い返したが、セシルはますます嬉しそうな笑顔を浮かべただけだった。引きつったスマイルで後を継いだのはジャスタスである。

「ところが生憎、ニナは僕の取引相手でね」

予想外のことだったが、葉山は生まれつき無表情である。汗が一滴、彼のこめかみを伝った。

「ちょうど先日から返済の手伝いをしてたところだ。
君には悪いが、彼女は期間ギリギリで全額を返済するぞ。トラカは返さなきゃならん」

「……俺の仕事潰してくれやがってこのバカ」

「潰されたのは僕のほうだ!どっちがバカだ大バカ」

剣呑な調子でいがみ合う二匹の回りを、ポフたちが宥めようとくるくる回る。笑いごとにしていられるのは部外者のセシルだけだ。やり手の少女は、ビジネスチャンスを逃そうとはしなかった。ずずいと二匹の視界に割り込んで

「ちょうど昨日、ポーン質店に、未使用のミンツのカードが入ったわ。
そっちとコード番号をすり替えても良くってよ。
可哀相だけど、そっちの返済は私が邪魔してあげる。大丈夫バレないわ。
そのかわり、私に『サルバトーレの手記 上巻』を譲ってちょうだいね。無料で」

サルバトーレの手記はアマチュア錬金術師の手書きの手帳である。貴重品だ。偽造品が多く、葉山の持っているものに値段がついたことはないが、金に換算したら一体いくらで売れることだろう。第一、歴史的にみてもその価値は半端ではない。

「どうする。君が受けるなら、僕もセシルにそれなりの対価を支払うつもりだ。
 お互いの身の安全のために、賢い決断を頼むぞ」

「……セシル、ジャスタスからは何を取る予定だ?」

「『サルバトーレの手記 下巻』よ。決まってるじゃない」

葉山は内心で呻いた。ジャスタス所有の下巻は、葉山が何度も買取りを申し出て断られたブツである。上巻だけならまだしも、セットでセシルの手に渡ったが最後、彼女が死ぬまで二度と市場に出回ることはないだろう。貴重な文献がまたひとつ、世の中から葬られたわけだ。彼は恨めしげにジャスタスを睨んだ。

「そんなに我が身が可愛いか……」

「僕はプライスレスだからな」

「それが本職僧侶の台詞かよ」

「善人ぶるな。受けるか蹴るか早いとこ決めてくれたまえ」

「そりゃ受けるに決まってんだろ」

葉山とて聖人ではない。
ふうとため息を吐き、セシルの手を握る。ほっとしたようにジャスタスは肩を竦めた。

「交渉成立ね」

セシルはほくほく顔で葉山の左手をジャスタスの右手に繋ぐ。
同期で商売を始めた彼らは、今までもこうしてうまくやってきたのである。ギブアンドテイク、もしかするとサルバトーレの手記だって、いつ奪い返されるか解らない。それが彼らの友情――計算と欺瞞と私利私欲に満ちていたとしても、友情なのである。


「そうそう、それからもう一個条件が」

少女の明るい声が、握手する二匹の背に緊張感を走らせる。セシルは上機嫌から一転、頬を膨らませて部屋の隅を指さし

「あのガラクタを片付けて!フローリングが砂だらけだわ。
私、ゴミとモンスターが島にあるのはどうしても許せないの!」







―-―-―-―-―-―-―-―-―-―-
-葉山 クラヴィオ 種類不定
闇問屋。
決まった店舗を持たず、身内同士での売買が専門。
飄々というか、覇気に欠けるような印象を持たれることもあるが
慎重で、早まらない、腰の据わったプレースタイルを得意としている。
クラシック音楽が好きな楽器マニアで、ピアノが大の得意。

飼い主は在日イタリア人らしい。

-セシル・ラ・シュク・ド・ネージュ キャンディスノー
情報屋。成文化された記録の改竄・すり替えを得意とする。
気分屋で、ゲーム感覚で仕事を楽しんでいる。
飼い主とグルで商売を行っており、ポフを操れるばかりか
2〜3lvのサブリヴを操り人形として使い捨てたりの芸当ができるが
本体は島の外に出ることができないという欠点を持つ。

飼い主はセシルそっくりのニンゲン。詐欺などにも手を染めている。