03:正義商会

戦いの観察に飽きたなら、データの海に身を投げよう。
人間世界のそれと違い、島のぐるりを囲むデータの海には底がない。体はどこまでも沈んでいき、運が良ければ地殻変動で沈んだ10サーバー内のどこかには辿り着く……そして降りた地面が凍結していたならばそこはきっと旧1サーバーだった場所だろう、海は沈むほど冷えるから。
海に沈んだからといって、島が水中にあるものとは限らないのがリヴリーアイランドの不思議なところだ。空間は三次元的にも四次元的にも複雑に入り組んでいて、けれどデジタルペットであるリヴリーたちは、例えどんな阿呆であろうともこれらの法則をたやすく呑み下せるのだから不思議なものである。

そういったわけで、その島は水中ではなかった。同じスラバヤ地区にひっかかっているとはいえ、過剰に南に位置するおかげで空気中の水分はカチンコチンに凍って霜に変わっている。雪を払えば岩だらけ、ちらほらと雪さえも舞っている。寒々しい風景の中に一か所ぽつり、オレンジ色をした灯火が今日もちろちろ光っていた。
誰もが思わず近づきたいと思うだろう、その暖かさに引き寄せられるようにして。ありがたい締め縄の張ってある岩といい、島はどうやら(さびれた)寺社の風体をしているようだ。手を合わせるのもオツなものだが、ここはひとまず暖をとるのを優先すると、祀り岩とはまた別の岸壁をくり抜いて作ってある木造りのカウンターに向かうべきだ。そこは事務所で人の気配がある。
しかし、近づくならばそうっと。間違っても足音など立ててはならない。
さもなくば

「子鉄!お客さんだ、お出迎えしなさい!」

……といった具合に、店主のセールストークに捕まる羽目になる。
さてその寺社のカウンター。お守りはいいとして、何故か色鉛筆に植木の類、果ては怪しげな頭蓋骨の置物まで並べてあって、雑貨屋の呈をしているから奇妙である。なんでも「地域のニーズに応え」始めた商売だそうだが、ちょっと値札を見れば、それが建前であることくらい容易にわかる。どう考えても金儲けを生きがいにしているとしか思えない店主だが、本人曰く「施しとか喜捨とかできるくらい人格できてる奴らじゃないんだからさ、それなら双方納得するやり方で結果オーライにしといたほうが良くないか?」ということらしい――宗教と商業主義が起こした最悪の化学反応であった。
ぼったくりのなんのと悪名高い「正義商会」はだがしかし、近所に品揃えのいい店が少なく、入荷も早いのでなんだかんだでカモには困っていないらしい。この区画、この場所に出店したものの作戦勝ちであるといえよう。

幸い、今は店主は電話との会話にご執心の様子である。とん、と店の前で聞こえた音に、呼ばれて来たのは、まだ幼いネオピグミーの少年であった。白みを帯びてきた色変え中の髪を、前はぱっつり切り揃え、後ろはきちんと刈り上げに。くりくり丸い焦げ茶色の瞳はいかにもお利口、店主の命令に張り切って走ってきたものの、残念なことに店の前には誰もいなかったのである。

「先パーイ、誰もいませーん」

困った子鉄はまた奥へと引き返し、取りこみ中の店主の指示を仰ぐ。墨色をした作務衣の裾を引っ張ると、店主は横目に彼を見下ろした。大きく、印象的な猫目であった。ピグミークローンに特徴的な美しい柘榴の色が黒い毛色にも白い肌にも良く映えている。鼻筋も通っていて、すらりと背の高い体格。髪を剃りあげていなかったら女性と見てもおかしくないくらいには整った容姿の持ち主である。彼は薄い唇をへの字に曲げると、小さく息を吸い……ああ、ここで黙ってさえいれば、上の美辞麗句が撤回されることも無かっただろうに。

「ですからね、その旨は保証書にきちんと明記してあった訳なので、
メーカーさんのほうに言って貰いませんとなんとも……ええ、はい、左様です。
ご確認の上で再度ご連絡下さい。それでは
……ったく。何も調べもしないで買った癖にいちゃもんつけるなっつーの、面倒な客だな」

ひとは見た目が9割、とはよく言ったもの。耳当たりの柔らかい筈の声で、ここまで人の神経を逆撫で出来ればなかなかの才能である。非常に残念なことだが、彼はその恵まれた頭脳、恵まれた容姿全てを打ち消す、類まれな人格の持ち主だったのだ。受話器を下ろし、ふんと小馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、店主はうんざりした気分を引きずったまま、小間使いに向き直る。

「誰も居なかったデス」

子鉄は平然と言い、店主の眉間に皺が寄るのを嬉々として眺めた。

「わかったご苦労。勉強に戻っていいぞ。歴史の宿題をやっていたんだろう。どうしたホラ行け」

「もう終わりましたっ!平安京遷都までばっちりデス」

「……予習」

「ハーイっ!」

浮かれた足音を残して去っていく子鉄に、やっと厄介払いできたと言わんばかり、店主はため息を吐いたて見送った。彼がネオピグミーである子鉄に対しこのような態度をとるのには、「splendor salve」の罠と彼の出生に関する事故とが大きく関わっているのだが、(そしてそれは彼が僧侶になっても「ジャスタス」という不釣り合いな名前を付けられているのにも関係がある)本人が頑として語りたがらない以上、ただギクシャクした仲だという他ないだろう。

どん、今度はさっきよりももう少し大きな音がした。

「またか」

見に行くべきか、無視すべきか。しばし迷った挙句、店主は今度は自分の足で表に出る。不用心にもカウンターに乗り出して頭を出したのが運の尽き、上から落下してきた何かに押しつぶされ、彼はめしゃりと机に頭を打ちつける羽目になった。

「Hi、ダーリン!」

痛みに上がる、声にならない悲鳴。悶絶するジャスタス。出会いがしらの暴力をかましてきた主は、そんな光景にちっとも良心の呵責を覚えていない様子だった。跨った足を嬉しそうに伸ばし、天地逆さまに獲物(後にわかるが妥当な表現だ)を覗きこむ。山吹色をした八つの瞳は、たいそうご満悦だ。鉛色で光沢を帯びた肌に、ショッキングピンクの短髪が眩しい。
そしてなによりこの少女、瑞々しい肢体を惜し気もなくさらけ出していた。つまるところ、全裸である。ピンチの時には鉤爪の出所となるアームバンドだけはきっちり手首足首に装備していたが、それの他はまっ裸である。しつこいようだが、全裸なのである。

「ドルテ!」

顔面にしたたかたんこぶを拵えつつも、答えたジャスタスの嬉しそうなことときたらない。なにしろ、アグレッシブな恋人のご訪問である。溢れんばかりのメスの魅力は総スルーで歓迎するのは、よく訓練された彼氏としては当然のことだ。

「タイクツだたよー、来チャタ」

セックスアピールが過剰な少女は、六本の腕を操り器用に軒にぶらさがると、舌足らずな言葉を発する唇にそっと指を触れてみせる。すがすがしいほどに猥褻で、奔放なんていうものでは済まされなかった。それでも、彼女に構わずにいられない馬鹿なオスは、後を絶たないのである。生殖行動を行わないリヴリーに対し性的能力を誇示するのは全くの無意味であるはずだが、それにも関わらずジャスタスはプラトニックな意味でドルテを好きだった。
ピグミークローンとジョロウグモ、という、いささか珍妙な組み合わせの、恋ではあるが。


「なんだ、君のいたずらだったのか」

「Huh?」

重しが取れたので、立ち上がりながらジャスタスは呟いた。ドルテはきょとんと首を傾ぐ。その仕草がまたなんともいえず(彼にとっては)可愛くて仕方がないのであった。







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-ジャスタス ピグミークローン
スペックの高さにひきかえ、人格に大問題を抱える残念なお坊さん。
ことに金にはがめつく、悪巧みに余念がないが、
ここぞという時に大失敗をしでかす運の悪さから、成功率は低い。
苦労性なのは、自業自得のたまものといえる。
噂では、実はピグミークローンではないとか?

-子鉄 ネオピグミー
ジャスタスのところの小間使い。
頭の回転が早く、運動がとくい。
何事にも一生懸命、ハングリー精神が旺盛なのは良いことだが
自信過剰な点はたまにキズ。ひとりでできるもん。
将来の夢は「お侍屋サン」。

二匹とも、飼い主はお寺のみなさん。

-ドルテ ジョロウグモ
裸族……いや、ジョロウグモの女の子。まだ名無し。
明るく騒がしくだいぶはっちゃけており、たいそう甘え上手なプレイガール。
某テリトリーのアルゴルの義理の姪っ子であるが、すこぶる仲が悪く
ほぼ勘当されている複雑な家庭環境を持つ。
ジャスタスに匿われているうちに愛が芽生えて、立派なバカップルになった。

将来的には現アルゴルをぶっとばし、めでたく下剋上に成功する器。