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01.
赤いスプレーが飛沫を散らし、大輪のカメリアを描いた。
持ち主の居なくなったマルルの木は、幹を明るい青色に塗られて様変わりしている。
メタリックな色調で描かれた聖母(円はキリスト教徒ではないのだが)は
哀れむような瞳で、根っこに幾つものそびえる墓碑を見守っているようだ。
「これはだれだろう」
「お前に関係ない人。
……ん、できた。」
えんまの肩を軽く蹴ると、彼女の忠実なペットはそろそろと腰を屈めた。
円は脚立替わりの肩から飛び降り、くわえ煙草をえんまにくれてやると、
他人の絵を見つめるような冷静な目で木を眺める。
反省やらいちいち口に出したりはしないが、
額に片手をかざして丹念なチェックを入れ、
ややあってから一度頷くと、マーカーで隅に円印をサインした。
気に入らないとぐちゃぐちゃに消してしまうこともあるのでえんまはほっとする。
「…どう?」
「うん、すきだよ!」
落書き、と一蹴されることの多い円の絵を
えんまはとても綺麗だと思っている。
口数も笑顔も乏しい飼い主がひたむきに描く絵が、他のどんな絵より素敵だと思う。
感想を求められると、えんまはそんな気持ちを素直に表しているだけなのだけれど、
円はいつも「同じ感想ばっかだ」と怒る。
長い付き合いになるので、流石の彼も学習したのか
えんまは慌てて新たな話題にすりかえようとした。
「おわっちゃったね。あたらしいかべをさがさなきゃ。」
「…いちいち言わなくていい。」
その言葉に、円は、『同じ感想』を口にしたときよりもずっと不機嫌になった。
絵に取り組んでいた時のあの煌めきのようなものは影を潜め、
今の彼女はただの、扱いにくい十代でしかない。
「キャンバスを探すのだって絵描きの仕事!…面倒とか、言ってらんないでしょ。」
えんまは謝ったが、何の反応も返ってこず
飼い主はスプレーの缶を投げやりにケースにぶちこみはじめた。
「飼い主さん、」
「今日はおわり。壁探しは今度。」
並べるでもなく無造作にしまわれていく色とりどりの画材を
申し訳無さそうに見つめていたえんまが、もじもじと話し出す。
「あのね飼い主さん、ぼく、飼い主さんがね、
おしろのかべに、えを、かいたらいいんじゃないかなあって、おもうんだ。」
「…前にやって超罰金払ったじゃん、それ。」
それはまだ、円が受験生ではなかった頃の話だ。
リヴリーアイランドの本島でどこまでも続く壁を見つけ
それがGLL城に繋がるものだとは知らずに、
めいっぱいスプレーを吹き付けたことがある。
外国のストリートにひっそりと残っているというグラフィティを真似して描いた、色とりどりの星座のイラストレーション。
あとで管理者にこっぴどく叱られて、
チューヅにも手伝ってもらって、みんなで消したのだ。
上手くできた絵を消すのが辛くて、円はいまだに笑い話にできない。
えんまはぶんぶん首を振って、
「ちがうんだ。ええとね、おしろのかべとちがくて、
ぼくたちのかべにして、飼い主さんは、えを、いっぱい…」
しかし嫌な思い出を掘り起こされて、ますます円は不機嫌になった。
話の途中から、彼女は早足にその場を立ち去り、
知らない誰かの島の奥まで、どんどん歩いていってしまう。
「まってて、飼い主さん、ぼく、こんどこそ、飼い主さんの絵がきえないように
がんばるから、ほんと、まってて、ねぇ、まって、」
えんまが必死になればなるほど、彼の話は現実味を失っていく。
大きな足で、頑張って飼い主に追いすがろうとするリヴリー。
リヴリーに追いつかれないように、顰め面で歩いていく飼い主。
彼女のラクガキが消されない世界を
えんまが本気で手に入れようとしていたことなんて
円はまだ知らなかった。
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