10:春の山
ペケの手から落ちたその後も、件のゴム毬は落ちたそのままの勢いで弾み続けていた。
何度も跳ねていればそのうち失速しそうな所なのに、ますます力強く地面を叩き、まるでそれ自身が意思を持っているかのように遠くへ遠くへ移動していく。
たん、とんとん、たんとん、たん。
サーバーの海に沈み森に落ち
泥に浮かび風に吹かれて捨てられて
めぐりめぐってやってきたのはどこだろう。
夏の日差しも眩しい頃だというのに、たどり着いた島はあたり一面、桜の花びらの絨毯だ。
毬が、桜の幹にぶつかって動きを止めたころ、ちょうど反対の方向からプリミティブパキケがやってきた。
「らん、るんるん、らんるん、らん」
スキップのリズムに合わせて歌いながら、彼女は麓の水車の具合を見に行く途中のようである。春の日差しみたいな蜜柑色の振袖に花柄の袴を履いて、頭には大きな赤いリボンが揺れていた。飼い主にそう命じられて、この山の神様のもとに奉公に出たリヴリーだった。主である花鳥メグルは春の使いで、彼の目の届くところでは季節を問わず花が咲き誇っている。
「らん、らん……あら?」
ミチルという名の少女は、一面の桃色の中に突如現れた球体に、ようやく気付いたようだった。首を傾ぐと、頬のあたりまでの髪がふるりと角を撫でた。固い爪先で蹴飛ばさないよう足を止めると、携えた籠を置いて毬を抱え上げた。
調和のないカラーリングは、綺麗なものばかり眺めて育った彼女の目には、さぞかし毒々しく見えたに違いない。ゴム毬は、ムシクイを模してデザインされたと言われていたが、その実全然似ていなくて、まるで鬼のような形相をしている。客観的に考えてもおもちゃにしては気味が悪くて、なによりひどく汚れているのが致命的だ。
汚らわしい。一瞬はそういう考えもよぎっただろうに
「あら。あなた、福招きのおまじないがしてあるんですか?」
しかしミチルは、表情をぱっと華やがせたのだ。
……。
彼女はゴム毬にかけられたまじないを感じとったようだった。流石は、春の司の従者である。公式には虫避けのため、効果は不明とされているが、まじないが寄せ付けないのは勘の虫のことでもある。不運は決して招いたりはしない。
「……メグル様に知らせなくっちゃ!」
ミチルは、パキケ属に特徴的なぱっちりとした瞳をめいっぱい輝かせ、急いで元来た道を走りだす。着物が汚れるのも、籠を忘れていったのも構わない様子だった。
きっと彼女には幸せが訪れる。主人に褒められるのが一番の幸せだなんて、全く望みの低いことだと――“私”はゴムの頭で考えていたが
しかしおまじない人形に叶えられる幸せなど、その程度のものなのである。
―-―-―-―-―-―-―-―-―-―-
-ミチル プリミティブパキケ
春の山の守護、花鳥メグルの従者。
しっかり者で素直なお気楽娘。腰が低く、超ミーハー。
とにかく思い込みが激しく、スイッチ入るといきなりタガが外れる。
主人を心底尊敬しており、手作りのファングッズは数知れない。
都に降りると筋金入りの田舎者っぷりを発揮する。
体温のコントロールに問題があり、いわゆるパイロキネシスの使い手。
懐胎ホルマリンへ、奉公に出た子です。
-ショコラ おまじない人形A
誰かが買って、誰かが遊んで、誰かが失くして、誰かが捨てた、ボロボロの人形。
たまに勝手にはずんだり、転がったりもするが本当に意思があるのかは不明。
幸運を招き寄せるかもしれない。
紹介小話の語り部。
ちなみに、命名はリラによる。
Copyright(c) 2010 All rights reserved.