ぬいぐるみ

「きゃー!ありがとうパパ!だいすき!」

6歳の誕生日、父親からピッピ人形を貰った少女はそれはもう悲鳴を上げて喜んだものだ。
今も昔も、ポケモントレーナーは「大人のシルシ」として
10歳を下回る少年少女の憧れの的であった。

「だって、みんな持ってるんだもん!」

…保守的な家では、10歳以下の子供にポケモンを与えることは好ましくないとされている。
もちろん、ポケモンと人間は切っても切れないパートナー同士だし
ポケモンを持たせたほうが保安の面でも心強いのは、親も認めるところであるのだが
子供の責任能力、判断能力の不十分さから起こる悲劇が存在するのもまた事実。
折衷案として、チャイルドロックのついたモンスターボールや
10歳未満のバトル禁止条例などが施行されている町もある。
しかし、子供としては(親の心子知らずとでも言うべきか)禁止でもなんでもバトルをしたい。

そんな、おませな女の子たちの心を象徴するのが、ピッピ人形の大ブームである。
本来、野生のポケモンの注意をひきつけるダミー的な目的で開発されたピッピ人形は
その容姿の愛くるしさ、価格の手ごろさから、若年層にも爆発的な人気を博していた。
コガネデパートから遠く離れたここ、タンバシティにおいても
垢ぬけた女の子の部屋の窓辺には、必ずひとつは置いてあったものだ。

少女はそれはそれは、人形を可愛がった。
学校にいくときも寝ているときも、肌身離さず持ち歩き、すこしでも傷がつけば繕ってやる。
覚えたばかりの裁縫で服や髪飾りを作ってやるのも惜しまなかった。

「あなたが、本当のピッピだったらよかったのになぁ!」

自分のワンピースを作った布でおそろいのリボンを縫いながら
少女はよくそう言ったものだ。


10歳の誕生日。
ポケモントレーナーとして、最初の一歩を踏み出した少女は
餞別として受け取ったモンスターボールを開けたとたん、父親の首に抱きついて喜んだ。

「ありがとう!ありがとうパパ!」

はじめてのポケモン。本物のピッピだった。
あの人形が、そのまま人形になったかのようなサプライズ。
少女は有頂天になっていて、用意したバッグの中に
今までの相棒だった色褪せたピッピ人形のことは、すっかり忘れてしまっていた。
…ぬいぐるみが、少女の相棒からただの道具に戻った瞬間だった。







少し広い空地で、ツブラは足を止めた。

故郷とは随分違う植生が取り囲む砂地の中を、潮風が吹いてくる。
もう辺りは薄闇の中。
彼女はリュックを置くと、腰につけたモンスターボールを取り出し
ボールからほとばしった光で、刹那、視界をポンと照らし出した。
軽い地響きと共に現れたのは、カビゴンだ。
しかし、その顔は特徴的な安らかな寝顔ではなく、苦しそうに歪んでいる。

カビゴンの異変は夕方から
うずまき島の観光を終え、タンバの岸に戻ってきた頃に始まった。
症状は単純、バトルも体力だけがどんどん減っていのである。
軽くボディチェックを試みても、病気の所見はどこにもみられない。
エネルギーを吸い取られているか、もしくは呪いをかけられたか…

「大丈夫…もうすぐだからね」

ツブラはそう言って相棒の腹をさすってやったが
今日のうちにタンバ入りできる見込みは薄かった。
ポケモンセンターに連れて行きたい気持ちは山々ながらも
カビゴンの体を思うならば、道中無理はさせられない。
丸い頭を伝い滲む汗をミネラルウォーターに浸したタオルで拭い
こうして少しの間だけでも風に当ててやると、幾分かは楽そうだ。
その分だけ、自然と進む速度は遅くなる。
ツブラは焦っていた。
時間的にゴーストタイプの尾行の可能性があるが、そうならば厄介だ。
外で夜を越したほうがいいのかもしれないが
いくらカビゴンの体力といえども、無尽蔵ではない。

「…応急処置にしかならないけど、これで我慢して」

「んびぃー」

ツブラは、ミックスジュースを3本取り出し、
ぐったりしたカビゴンの胸によじ登ると、口元に一本ずつ注いでやった。
これでしばらくは持ちそうだ。
ひさびさに満足そうな頬笑みを浮かべ、やっとまどろみだしたパートナーの姿を
ツブラは愛しそうに見つめる……

「ドラマ・アンド・ドキュメント!バラエティーアワーのおじかんです!」

リュックにつけていた筈のポケギアがけたたましく叫び出したのはそのときだ。

ツブラはそちらに目をやり、あっと息をのむ。
ぎくりと身をこわばらせ、紫色をしたポケモンがリュックを抱えて立ちすくんでいたのである。
しかし、カビゴンに跨った状態の彼女がすぐに反応できる訳もない。
もたもた降りている間に、リュック泥棒は草むらに飛びこんでいってしまう。

「ま、まてっ…!ああ、もう、どうしよ…」

遠くなっていくラジオの音。
しかし、カビゴンをボールにしまうのはまだ早い。

「…コラッタ、ちょっとカビゴン見てて!」

あわあわと足踏みを踏んだ末、彼女はもうひとつのボールに手をやり
二人目の頼れる相棒にその場を託すことにした。


タンバシティは乗り物が多い都市としても知られている。
厄介なことに潮風に侵されるおかげで自動車の寿命は比較的短くなるのだが
商店の少なさやアサギ港への需要などから、
個人用ボートや自動車はなくてはならない交通手段である。
ツブラはそんなことは知らなかったが、
ラジオの音を追って彼女がやってきた廃棄場は、そういう理由でそこにあった。

林と林の間。地元の人間でなければ、この空地には気付かないだろう。
木々の間唐突に、法の目を逃れて廃棄された
ありとあらゆる生活用品が、こんもりと山を作っていた。
周囲に金網が張り巡らされているところを見ると、なかば黙認されているような状態なのだろうか。
そこにあるのは、たとえば冷蔵庫。たとえば壊れたキャビネット。たとえば、ぬいぐるみ。

「……ジュペッタ。」

さっき、リュックを持っていった後ろ姿でおおよその見当はついていた。
夜行性で、ゴミ捨て場を住処とし、人間を敵視する。
一般的なブリーディング向きではないため、ツブラも遭遇したのは初めてだったが
けして身近に居るポケモンではないのにも関わらず、子供ならば誰でも知っている存在だ。

ツブラはラジオの音を探り当て、錆びついたワンボックスカーの前で足を止めた。
音は小さく篭もっていたが、しんと静まり返った場所だから耳を澄ませばかすかに聞こえてくる。
彼女はひとつ深呼吸をすると、トランクのノブに手をかけた。

目に飛び込んできたのは、廃車とは思えない薄桃色の室内である。

後部座席は全部倒したのか、ほとんど障害物のない車内は
天井も壁も、まるで綿が入ったようにふかふかしていて
そこかしこににツブラのリュックの中身が散乱していた。
踏み入った地面は、おがくず混じりのちょっと粗悪な綿の感触で
子供が誰でも抱いたことのある、ぬいぐるみの感触にとても似ており。

「い゙っ…!」

指の隙間に、見覚えのある刺繍の目と口を見つけ、
ツブラはぞっとして手を離した。
視線から逃れることはできなかった。
かがめた頭の上の天井。地面についた膝の下も全てを埋め尽くしているのは
ピッピ人形の顔、顔、顔……

「ジュ、ビィ…ビピ、ピビィ…」

最も奥には、リュックの中から目当ての物――ピッピ人形を取り出したジュペッタが
憎悪に満ちた目でツブラを睨みつけていた。
ほぼ唯一車の形を保っているといっていい助手席にはピッピを模した置物が所狭しと積み上げられており
そういえば、このポケモンの形状は、ピッピ人形のそれに似ているのだと
ツブラはやっと気付いた。
進化前の形であるカゲボウズの角に加え、新たに突き出した頭の両脇の二本の「耳」。
顔に空いた眼窩から覗く黒い瞳、そしてそれをあたかも眼球のように取り巻くピンク色の「皮膚」…

「…怖がらないで、それはあげるから。私はそのリュックが欲しいだけ」

ツブラは姿勢を低くし、ゆっくりとリュックのほうへと這いずっていった。
+にも−にも相手を刺激しないよう、野生ポケモンからは極力目を逸らす必要がある。
まずは、小物だ。平らな地面に散らばった小物類をかき集める。
次は、指。体を伸ばし、背負い紐を引っかけて手繰り寄せる。
ジュペッタは手もとの人形を弄りながら、荷物を拾い上げるツブラの一挙一動を監視していた。
持ち手にひっかけられたラジオからは、ジョウトサウンドが奇妙な明るさを垂れ流している。

「…終わったよ。ね、何もしない。それは、あげる。」

リュックの口を締め、ツブラは小さく両手を上げた。
人形にカゲボウズが宿る理由は二種類ある。とても粗雑な扱いをうけていたか、それとも、とても愛されていたか。
彼女は、ジュペッタが後者であることを切実に願った。

「……ピ、ビィ…」

ジュペッタは微動だにしない。
ピッピの出来そこなったようなしゃがれた声を漏らしただけである。

「お前の家から、出ていくから…」

安心したツブラが後ずさった途端だ。バタンとトランクが閉まった。
車中のドアがロックされる。
前の持ち主はよほど怨まれるようなことをしたらしい。
ぬいぐるみに戻っていたようだったジュペッタが、たちまちゴーストポケモンの本性を露にする。

「ビィ!」

今は夜。外からくる光をさえぎってしまえば、車全体が影である。
天井が、鍾乳洞のようにどろりと濃い紫色に染まり、ツブラめがけて滴り落ちてくる。

「ひ、ひええっ!?」

彼女は慌ててリュックの中からボールを探り当てようとしたが、その前に、車体に激しい衝撃が走った。
ジュペッタの影討ちが中断する。
相手もふらついているところをみると、どうやら、第三者による攻撃のようだ。
二度、三度と衝撃は続き、ワンボックスカーはとうとう横倒しになる。
ツブラとジュペッタが落ち込んだ先もふかふかの壁だったため、怪我はしなかったが
外からは、体当たりを繰り返していたカビゴンの、力尽きる声が聞こえる。

「お前たち…来てくれたんだ!」

かわりに、ツブラの頭上の窓ガラスがバリンと音を立てて降り注ぎ、素早くコラッタが飛びこんできた。
背中の毛が固く逆立っている。
自身で思っていたよりずっと緊張していたのか、ツブラは目頭が熱くなった。
が、あまり悠長にしてもいられない。
ジュペッタはなおも、影を伸ばして出口を塞ごうと試みている。
ツブラは強気な態度で言った。

「…ドアを、開けて。
 人間の言葉はわかるでしょ」

コラッタを含め、彼女の手持ちは全てノーマルタイプだ。
ジュペッタに攻撃することは叶わないが、そのかわり、かげうちとシャドーボールも効かない。
相手がのろいを使うことは読めているが、カビゴンに重ねがけしたおかげで
使える回数は限られている筈だ。
ジュペッタは攻撃できるものならやってみろといわんばかり、影を片手につかみ取った。
半透明の暗がりだったそれは、夜闇を吸収して徐々に大きなボールになる。
相手の狙いはコラッタではない。間違いなくツブラである。

「…私の仲間に手を出したんだ。攻撃をやめないと、ゆるさないから」

ジュペッタは少し動きを止め、だが思いなおしたのか、手の中の影をますます大きく練り上げる。
コラッタがノーマルポケモンだからタカを括っているのだろう。
大きくなっていくシャドーボールの様子に、ツブラは唇を噛み

「コラッタ、かえんぐるま!」

号令と共に、コラッタの体が炎に包まれた。
乱暴だから行使したくはなかったが、ジュペッタを脅せる特殊技はこれしかない。
そのまま突っ込んでいこうとするコラッタをハンドサインで制し、ツブラは叫ぶ。

「ドア、を、開けてよ!」

炎はたちまち布製の床やカーテンに燃え移り、ジュペッタを追い詰める。
綿で出来ているジュペッタは、堪らない。
操っていた影を膨張させ、車内で破裂させると全てのドアが開いた。
はじき出されたツブラとコラッタは、力尽きたカビゴンの上に放り出される。
周りの廃車に混じるように傷ついたカビゴンを
ツブラは急いでボールにしまいこみ、退路を断たれる前に、金網覆う出口に向かって走り出した。


「…はぁ、はぁ…ふぅ」

安全な距離まで走ってやっと、歩をゆるめる。
追手は来なかった。
振り返ると、遠くに煌々と火事が燃えていた。
脇にはジュペッタがピッピ人形を抱えて立っていて、
火を消そうともせず、燃え盛る自分の家をいつまでも眺めているのだった。

「……。」

思い直して、ツブラは歩きだす。
明朝まで歩けば、タンバシティに着けそうだった。