ギュニア杯2日目:昼

「ちっがあーう!」

がしゃん、と酷い音がして、薬のいっぱい入ったワゴンが揺れる。
純白の白衣に薄いブルーのショートヘアを持った
ホオベニムクチョウの看護婦は
顔色も同じように青く染めながら、おずおずと顔を上げた。

「だから全ッッ然違うってんだろ!
 医者なのに言葉通じねーってどーゆーことだ!あ゛!?」

噛み付いているのは金色の髪に眼帯の、
所々に絆創膏を貼り付けたクロメの女性…ソンフィだ。
破れたジーパン、上はサラシを巻いただけの姿で
診療台の上にどっかり腰を下ろしている。
えんまとの戦いで負った傷は幸い骨折だけだったため
/cureの助けを借りてだいたい直ったらしいが
彼女の心理的なダメージときたらもう重傷だったらしい。
看護婦はそんなこといわれましても…ともじもじしている。

「だからよ、俺は降参なんて言った覚えはねェし、試合も続行できる。
 負けてねェんだから、ホテルをチェックアウトする義理はねェ、何かの間違いだ。
 潔く誤審を認めて、とっとと試合に復帰させやがれってんだよ!」

ソンフィは怒りに任せて一枚のカードを看護婦の顔に叩きつけた。
何度も丸めては広げを繰り返されたのであろう。
送られてわずか1日で完膚なきまでによれよれになったハガキ大の紙だ。
貴殿はギュニア杯にて惜しくも〜という文の後に
免責事項やらがつらつらと書かれており
最後にご利用ありがとうございました、と締めくくられている。
チェックアウト願いの通知である。

「敗退次第、ホテルからはチェックアウトするというルールで
 合意がなされている筈で」

「負けてねェっつってんだろ!」

「そう仰るので本部に判定用の動画を借りてきたのですが…」

特例ですよ、と念を押しながら看護婦がテレビをつける。
彼女の顔に青あざがあるのは、昨日ソンフィの要求を容易に飲まなかったからだ。

そこにはえんまとの試合が俯瞰の角度で映っていた。
早送りすると二人の姿がチョコマカと動き、問題の箇所にたどり着く。
うつ伏せのソンフィ。その背中に体重をかけるえんま。

『こおさんしないの…?』
『…してよ…』
『ほら、こ・う・さ・んってさ。』
『降参…て!あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!』

叫んで首を落とすソンフィ。

『ソンフィ選手の降参により、この勝負、えんま選手の勝利。』

気を失っているソンフィをよそに判定が出て、そこで試合は終了となる。


「これではどうにも…」

「そ・れ・は・相手が降参しろって煩ェから、降参しねぇって言い返しただけだよ!
 降参までしか聞こえてねェのはなァ、てめェのポンコツマイクが音声拾えてねェだけだ!
 あの野郎、半端なタイミングで落としやがって…
 …俺はこのビデオの所為で、カウントすらされねェまま退場になってんだぞ!」

確かに映像には、降参してすぐ担架に乗せられ
運ばれていく途中で跳ね起きるソンフィの姿も記録されている。
失神から復活まで、その間7秒。
10秒以内に立っているのだから、本来なら試合続行のはずである。

「しかし、その前に降参宣言しちゃいましたからねぇ…」

「た゛ーかーら、してねぇってば!」

ソンフィははーっと深く息を吐くと、何気なく看護婦の後ろの棚に目をやった。
考えるような顔をしてみせたかと思うと、おもむろに立ち上がり
棚に近寄っていく。

「てめェじゃ埒があかねェな…この瓶は何だ?」

青い色をしたひとつの瓶を手に取ると、看護婦が目を大きく見開いた。

「…っ、只の消毒液です…置いてください。」

「へぇ、有害表記のある消毒液たァ珍しいなァ?」

にやにやしながらソンフィは瓶を手のひらの上で転がして
何度かその感触を確かめる。
そしてやおら腕を振り上げ

「ああっ!」

看護婦は悲鳴を上げた。
彼女が咄嗟に体を丸めると、瓶は手放されずに終わり
ガラスの砕ける音の代わりにドスの効いた声が響く。

「責任者呼んで来い!」

今すぐにだ!
ソンフィがワゴンを乱暴に叩くと
看護婦は逃げるように部屋を後にした。