ボスラッシュ
食事の席でのタブー:野球、宗教、そしてリヴリーの話題。
真夜中。
季節がいつでも春に設定されたとあるのどかな島に、リヴリーにあるまじき巨大な影が揺らめいている。ふわりとエーテルを掻き乱し、乱立する墓石の間から空中に泳ぎ出たのは、本来ならばここに泳いでいるはずのないモンスター、タガメであった。
WGPの主である彼が、まるで放浪モンスターの如き場所にいるのには、止むにやまれぬ訳がある……リヴ総研から発令された駆除命令である。
システムの改変に向けて、という目的で行われた措置は、モンスターが今までニンゲンから“見逃されて“いたことを如実に示していた。今までモンスターに手を焼いていたのではない。リヴ総研がその気になれば、モンスター一掃など、もとより訳無かったのだ。
大勢のモンスターが死んだ。無論、下に配下を持った名有りもである。
だが、流石に最高位の者ともなれば、そう簡単に死ぬはずがない。
とある蜂はクインの影武者として死ぬことを志願した。過去に最も悲惨な駆除の歴史を持つミツバチの巣のいくつかは、スズメバチのクインの受け入れを申し出た。昆虫の世界の秩序は、力によって覆ることはあっても、科学の手に侵されてはならない。それがモンスターの総意であった。
このタガメ――スギクもまた、そんな幸運な生き残りの1頭だ。
スギクは注意深く、冷気の中を泳いでいった。
幸いこの島は広く、壁紙は息苦しいくらいに密閉されている。安全を確認すると彼は島の淵に降り、ストロー状の口を水面にそっと刺した。人間世界のものより数段進化を遂げたタガメ種は、生息域を水中のみに限定していなかったが、それでも水は恋しいものなのだ。
静かな島である。
スギクは満ち足りた気分だった。
背後でワープ音が鳴り、ガチャガチャギイギイ賑やかな足音が聞こえだすまでは。
「バスチアン、くれなゐ、何をしているんだ止めないか!」
水鏡に映った姿に思わず噴きだし、悲鳴を上げたスギクは、慌てて見知った侵入者へと向き直る。彼の平穏を荒しているのは睨みあう2頭のジョロウグモ。もつれ合って降ってきたのがパッと距離を取ると、脚を突っ張り顎をかち鳴らし、自らの大きさを見せつける。
片方の雌がぐるりと首を捻り、鋭い表情そのままにスギクを振り向いた。
くれなゐ。その名の通り、マゼンタピンクの甲殻も艶やかなアルゴルである。名有モンスターの基準からすればスレンダーな体躯。脚の曲線はまるで絵で描いたようにしなやかながらも名有特有の迫力を纏っており、彼女の潜り抜けてきた戦いの歴史を連想させる。
「この太っちょが因縁つけて来たんだよ。売られた喧嘩は買うのが筋ってもんだろう、え?」
「僕ちゃん悪くありませーん」
もう一方のアルゴルが茶化す。
軽い口調ながら、声色は明らかに怒りを押し込めたそれである。
女性優位ののモンスター社会での雄モンスターというのはナメられないように、ズバ抜けて体格の大きな者が多い。その雄もまた骨太でかなり大きく、しかもでっぷりと太っていた。バスチアンという名を持つ彼は、大きな腹部を揺すって笑い
「上手い隠れ家を探したねって言っただけでしょうが。
なぁにをそんなに熱くなっちゃってんのかなー?」
「馬鹿におしでないよ!
言いたいことがあるならハッキリ言えばいいじゃないのさ。
それとも、アタシと真っ向勝負して吠え面かくのが怖いのかい?」
「カリカリしてっと血圧上がるぜオバさん」
「ほぉう、アンタの度胸ってのはそういうことかい。
それにアタシは低血圧だよ。少なくともアンタほどデブじゃないからね、坊や」
バスチアンが顎を鳴らして威嚇すれば、くれなゐが挑発的に前脚を伸ばし、相手のブヨブヨした腹を突っつく。
喧嘩の発端について、スギクには容易に予想がついた。
恐らく、くれなゐが身を寄せている島のことであろう。
駆除命令が発されてから、名有りモンスター達の行動は早かった。
パークのモンスターはシステムの穴に潜り、放浪を得意とする者は運営の動きをいち早く察知する能力で、うまく死角に立ちまわった。
ジョロウグモであるくれなゐとバスチアンは後者に当たり、リヴリーが居住している小島を舞台に立ちまわっていたのだが――問題は、くれなゐが身を隠している島が無人島ではないということだ。彼女はリヴリーの“善意で”一時的な共存を図っているというのである。
部下が「どうにかして姐さんだけは」と頼み込んだ末、しぶしぶ安全な島に身を寄せることにしたらしかったが、くれなゐのほうも、リヴリーに頼ることに関しては不本意な気持ちがあるらしかった。彼女もプライドがちくちく痛んでいただろうに、そこを他のアルゴルに褒められたら深読みしたくもなるというものである。しかも、極端にリヴリーと不和なことで有名なバスチアンに。
そりゃあ怒るだろうよ、とスギクは思った。
しかし、バスチアンに必ずしも他意があったとは限らない。リヴリーに頼るボスモンスターはくれなゐ以外にも大勢いたし、それらは決して降伏や裏切りを示すものでなく、あくまでも部下を危険に晒さないという戦略的決断から導いた結果だったからだ。何が真意で言ったのかは不明だが、リヴリーに間借り出来ないバスチアンはくれなゐよりずっと危険な生活を強いられていた。移動の多い生活に苛立って、言葉に棘が混じったのだろうか。
大体、くれなゐもくれなゐである。さらりと流せばいいものを過剰に突っかかるとは、余程リヴリーに間借りするのが不満なのだろう。そのくせこれだけ怒っていれば流血沙汰になったっておかしくないだろうに、手を出さないのは身の安全が確保されていることから来る余裕だろうか。全く、腹の内が読みづらいったらありゃしない。
スギクは、取っ組み合いに発展することを一番恐れていた。いくらアルゴルがレベルが低いモンスターだといえ、2体同時に相手にすれば、ウォーターグリフォンとてただでは済まない……し、彼らの強さはそもそもがレベルに比例しないのである。駆除を逃れて、身内で潰しあっていれば世話は無い。
このあたりの島は隠れ暮らすモンスターの穴場スポットだ。周りの島をいくつか当たってみて、運が良ければ別の名有りが居るかもしれない。運が悪ければ誰も居ないかもしれないが、それでもしばらくの間はこのイザコザからは逃れられるだろう。
ともかく行動、仲裁は必要だ。スギクが地面を蹴ったとき、
「ボクもまーぜて!」
と、救世主降臨のワープ音だ。
元気な声色、そして、小柄なカマキリの三角頭は、スギクの血の気を引かせるに充分であった。まだやっと脱皮を終えたばかりであろう小さなメスのカマキリ。幼いながらも腕利きのローズウッド、雅である。戦闘の香りを嗅ぎつけて飛んできたのに違いない。やってきた仲裁が喧嘩好きなら、なく事態にガンガン油を注ぐのを、スギクはすっかり失念していた。
が、幸運なこともある。
小さな雅は、身体を低めて三匹を見下ろしていたのだ……ということは、ホバリングのできないカマキリの身長を底上げする何かが足元にあるわけで、それが少し遅れてワームホールを抜けて来た巨大な一匹のスズメバチ、クインのお清だった。
「これ、汝ら。何をしておる?騒がしいのう」
凛とした彼女の声が響き渡れば、水を打ったように静まった。2頭のアルゴルはちらりと互いに目配せをし、無言の休戦協定を結ぶ。まさに鶴の一声とでも言うべきか。
スズメバチの巣は大抵規模が大きいものなのだが、お清のテリトリーは俗に“帝国”と呼ばれる地域でとりわけ巨大なもので、くれなゐやバスチアンのものとはまるで比較にならない程であった。名有りのメンバーが集まったときクイン種が議長役に回ることが多いのは、他人を仕切る技量が優れている点だけでなく、他の多くのモンスターに対し格上だという了解のせいである。
その上お清は、排他的な“帝国”の支配者でありながらも彼女自身としてはリヴリーと共存の態度をとっており、2匹のアルゴルのスタンスと照らしても調停係としてはまさに適任、喧嘩両成敗といったところだ。
数千数万の長というものの格に舌を巻いたところで、苦労性のウォーターグリフォンはやっとため息をつき、額をぐりぐりと揉みほぐしながら
「……いえ、特に何も」
と、お茶を濁す。だが、それを見逃さなかったのはローズウッドである。丸型の複眼をめっと顰めて舞い降りた。優に地上まで3mはあろうかという距離だ。それを翅さえ広げず着地した彼女には、小さいながらも凄まじいポテンシャルが秘められている。
「スギくん、嘘はよくないよ!だってボク聞いたもん。
くれなゐがカリカリでねー、バスちんがブヨブヨで、スギくんがオロオロで……」
「……駆除の件じゃろう。このところ、諍いの原因ときたらそればかりじゃ」
子供らしいあどけなさで蒸し返そうとするローズウッドを「雅、」と制し、お清は静かに言った。「はぁ」スギクは照れ臭そうに前脚で頬を掻く。
「もう随分長いこと放浪生活が続いておると聞くな、汝らの努力も耳に届いている。
くれなゐは屈辱に耐えてでも身内の安全を護る優しさを、
バスチアンは苦難を伴っても誇りを守る道を取ったまでよ。
どちらが邪道という話でもない……まぁ、その若さではそれなりに不満もあろうが」
まるで子供扱いのアルゴル達も、居心地悪そうに身じろぎした。お清が実際何歳なのか、知る者は殆ど居ない。まばゆい程の美貌を讃えており、見た目だけならばくれなゐやバスチアンより若く……ともすればスギクと同じくらいの若者に見える。
帝国もまた、その規模の大きさ故に駆除を免れている地域に当たる。我が偉そうに言えることではないが、とお清は前置いてから
「しかし、見ろ。雅のような小娘でもこのとおり気丈に振る舞っているではないか
汝らがこの体たらくでは示しがつかんぞ。のう、スギク」
「生き延びきれているからといって、少し油断しているんじゃないのか。
勇ましいのは結構だが、もう少し冷静になってくれなければ困るぞ」
うんうん、と腕組みをするスギクに続き、アルゴル達は各々8つずつある目を出来る限り合わせないよう泳がせていたが、ようやく
「……坊や、お清に感謝しな。次は無いから覚悟するんだね」
「へいへい、悪ぅございました……覚えとけよ」
と、しぶしぶながらに和解した。前脚の鉤爪同士を交わした音の合間に舌打ちの音がしたのは、聞こえなかったことにしておくべきだろう。
ともかく和らいだ空気に、スギクは肩の力が抜けたのだろう。やっと年相応に顔をほころばせると、器用に身体を傾け会釈を返す。
「お清さん、ありがとうございます。俺、一時はどうなることかと」
「お清“さん”などと水臭い呼び方をするでない。
汝も我も同じ、“名を持つ者“ではないか……御苦労じゃった。褒めてつかわそう」
種族の長という立場に立っているとはいえ、スギクはまだまだ年若かった。まだ脱皮も終え切っていないような着任時と比べれば見違える程の成長を遂げたものの、黄金色の装甲に前任者ほどの貫禄はない。
アルゴルくらい軽くあしらえないようではまだまだだ。スギクが自分の未熟さを恥じていると、お清がずずいと彼を覗きこんだ。
「……しかしスギク、お前は会うたびにウォーターグリフォンに似てくるな」
前任のことを考えていたのを見透かされたようなナイスタイミング。
スギクは思わず小さく翅を広げてしまった。
「えっ、俺がですか?」
「うむ。かの御仁もかつてこうやって、我とアルゴルの仲裁ばかりしよってのう!
散々なだめた後、決まって『俺もまだまだ未熟者だ』なんて言いながら
ブクブク沈んでいたものよ。はははは!」
「ははは……はぁ」
よっぽど当時の光景とそっくりなのか、声を上げて笑うお清の傍らスギクはがっくり肩を落とした。ウォーターグリフォンが旅に出る間際に残した台詞『俺もまだまだ未熟者だ』は、どうやら彼の決め台詞だったらしい。ああウォーターグリフォン。未熟な己を恥じて旅立った癖に、何故、もっと未熟なスギクに後任を任せたのか。
きゅうっと胃が痛むのは、脈々受け継がれたタガメの血筋が原因らしい。
いっそ、ブラッドジャンキーの雅に抜いてもらえば、苦労性も治るかもしれないななんて物騒な考えを巡らせてスギクが目を動かせば、当のローズウッドはきゃっきゃとくれなゐにじゃれついている。
「ねぇ、くれなゐさんち、リヴリーいっぱいいるんでしょ。ついてってもいい?」
「まぁ、居るっちゃ居るけどねぇ……好き勝手は出来ないけどそれでも良いのかい?
肉も食えない、身体もなまるで柳染なんかはもう参りかけているようだけど」
「いーのいーの!ボク、いっしょに遊べれば」
モンスターとリヴリーの関係の複雑性の一因として“遊ぶ”の基準のズレでが挙げられるだろう。軽いジョークのつもりでチョチョンと落とした手足が原因で、かっとなったリヴリーに殺害された等、奇妙な認識のズレで起きた紛争は数知れないという。
見かけの愛らしさに騙されがちだが、そんなリヴリーの島に
ジェノサイダーとすら渾名されるローズウッドの雅が行こうものなら……
「やめろー!!」
くれなゐが判断を下す前に、スギクの叫びが島にこだました。
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